=「もし自分だったら」と想像できない人種差別と同じ構図=
<(28)目次> ・ 『特権階級』か『檻の中』か ・ 金儲け主義のメディアが全く意識しない「人種差別と同じ構図」 ・ もし自分だったらという想像力の欠如 ・ 自分の娘に『絶対男子を生む義務』を課すことに耐えられるか ・ 作り物に過ぎない『虚構』は書き換える ・ 『旧宮家の復帰』も『女系天皇』も全部認めた上での継承順位 ・ 将来の皇室を語る時に忘れてはならない目線
こんにちは。柳原孝太郎です。
眞子さまのご結婚問題はメディアでの報道の過熱ぶりが止まるところを知らず、以下の前回の記事で書いたメディアの横暴に対する嫌悪感がなかなか無くなりません。
そんな時、同じ様は焦燥感を表す以下の記事を見つけました。
ヤフーニュース/現代ビジネス 「複雑性PTSD」公表後も続く執拗な誹謗中傷…眞子さまと小室さんの「人権」はどこへ 10/11(月) 6:02配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/05de8f3775ae255eba5769cfc924b9c9efc22aa6
この記事が指し示す深刻な人権問題との指摘はまったく同感です。眞子さま周辺だけではなく皇室全体を俯瞰しながら、放置しては置けない深刻な人権侵害の構図を見てみます。
『特権階級』か『檻の中』か
眞子さまがここまで叩かれるのは、そもそも天皇制反対・皇室存続反対の勢力が眞子さまの結婚を利用しているか、あるいはいわゆるルサンチマンの表出で単に「特権階級が気に入らない」という怨念がネットを充満しているか、そのどちらかではないかと見受けられます。小室さんと母親の疑惑は真偽が不明ですが、仮に疑惑が本当で小室さんと母親が「悪人」だったとしても、皇族の女性が結婚相手を選ぶのは憲法他法令でも制限されておらず自由で、国民投票で決められるわけでもないので、どんな人を結婚相手に選ぼうともそれは自己責任、自業自得でしかないのではないか、というのが当方の受け止め方です。
天皇と皇室は万世一系で2000年続いており、日本と日本人の屋台骨と言われる存在で、現在の日本では憲法で存在が規定され、その身分と生活は税金が投入されることで保障されている、日本の代表的な『特権階級』と言えます。この『特権階級』に対しては、日本人一人ひとりはその人によって幅の広い様々な感情・思想を呼び起こす存在と言えます。
ある人は、万世一系で2000年続く世界に誇る日本文化の象徴として何物にも代えがたいかけがえの無い存在として崇め奉る対象と考えるかもしれません。
ある人は、前回の戦争で「天皇万歳」と叫びながら命をささげて散っていった祖先の仇と受け止め、天皇制と皇室の存在を消滅させたいと思っているかもしれません。
またある人は、単に税金で生活しているけしからん存在だが正直うらやましいという、羨望と嫉妬、それが増幅した憎悪のまなざしで見つめているかもしれません。
そんな人々の心の琴線に触れがちな存在であるだけに、一旦世間で話題になると、特にネット・SNS時代の現在は、発言が過熱して止まるところを知りません。
そんな存在であることは皇族の方々も十分認識され、国民の反感を買わない様に、正に腫物に触る様に自分の個性、つまりは本性を押し殺して生きておられる様にお見受けします。
自分が自分であることを自分の中に閉じ込めて生きている。自分がもしそんな立場で生きて行くとしたら、それは『檻の中』に閉じ込められている感覚を持つであろうことは、容易に想像できます。自律思考で自分で考えて自分の人生を歩んで行きたい人にとっては、閉じ込められている檻からは一刻も早く飛び出したいのは、誰しも同じではないでしょうか。
皇族の方々は、そんな立場に自ら望んで就いたのではありません。生まれて気が付いたらそういう立場に立っており、自ら好むと好まざるにかかわらず、一生その場を離れることはできません。
金儲け主義のメディアが全く意識しない「人種差別と同じ構図」
そんな皇室に属する眞子さまが、自分の結婚相手を選んで結婚しようとしたところ、相手とその家族についての疑惑に気が付いたメディアが、『言論の自由』という免罪符を掲げた金儲けのためのネタとして、マッチポンプで煽りに煽って最大限に利用している、と言うのが俯瞰して見える眞子さまの結婚報道です。
眞子さまと小室さんが何をしても叩くメディアを見ていて、何とも言えない不快感を覚えながら、あるときふと、あることに気が付きました。
それは、この構図は、人種差別の構図に似ている、ということです。
人種差別は、「人が自分ではコントロールのできない出自で差別・攻撃を受ける人権侵害」で、許されないことです。人種差別が許されないことは、普通の人は誰も否定しません。
一方で、今回の眞子さまの叩かれ方は、「人が自分ではコントロールのできない出自で差別・攻撃を受ける人権侵害」以外の何物でもありません。眞子さまがメディアで様々な疑惑を報道される小室さんと結婚しようとしていることで世間から叩かれるのは、眞子さまが皇族であるからです。眞子さまは自ら望んで皇族に属しているものではなく、正に「人が自分でコントロールできない出自」を理由に攻撃を受けています。これは、人種差別と全く同じ構図です。
メディアは、人種差別はあってはならないと言うのに、人種差別と同じ構図で皇族を攻撃することに全く躊躇することはありません。自分でしていることが如何に理不尽であるかを全く意識できていません。
もし自分だったらという想像力の欠如
理不尽な人種差別がなぜ起こるのかというと、誰しも自分が現在の立場(人種、親、国など)に生まれて来たのは単なる偶然に過ぎず、場合によると自分が差別している相手の人種に生まれていたかもしれないという想像力が欠如しているからと言えます。自己中心的、自分勝手で一方的な見方・考え方が原因です。
眞子さまを叩くメディアを見ると、全く同様に、眞子さまの立場になって考えていない、眞子さまも一人の人格をもった人間であるという想像力がまったく働いていない様にみえます。人種差別者が相手の人格には目を向けずに肌の色しか見ていないのと同様、眞子さまの人としての人格は見ずに皇族に所属するというその一点だけを見て攻撃しているとしか思えません。
自分が眞子さまの立場になったら、と考えてみてください。好きになった人の親が仮に良くないことをしていたとしても、それを理由に一人の人間として自分の魂の叫びで湧き上がる好きである気持ちを止めることが可能でしょうか?親や親族、知人(宮内庁など)に説得されて、頭を冷やして冷静に考えて考え方を変えるということもあるでしょうが、結果としてやめられないとうこともあるでしょう。
人の気持ちなのだから、止まらないこともあるのではないでしょうか。
皇族と言えども人間です。世間の人々に頻繁に起こることが、皇室では絶対に起こらないというのは、確率的にはあり得ないのです。
皇族が結婚するというのは、戦後76年で数える程しかありません。過去はともかく現在は激変する社会情勢の中、若者の考え方もかわり、ネット・SNS全盛にもなっており、過去は表に出なかった情報もいい悪いは別にして公に晒される時代です。
そんな中で、もし仮に小室さん周辺の疑惑が事実としても、人が結婚に失敗するという世間的には頻繁に起こることが、残念ながら皇室でも発生しているというだけのことと見えます。眞子さまが人として自分の人生を歩いて行く中でぶつかる自己責任であり、結果として人を見る目がなかった、ということに過ぎないのではないでしょうか。
ただそれを理由にひたすらその人を叩くのは、リンチでしかありません。
アメリカでBLM運動のきっかけとなったジョージフロイド氏の殺人事件。白人警官が黒人を道に倒して膝で首を絞めると言う凄惨な人殺しの場面に受けた衝撃、嫌悪感、やり場のない怒りは忘れることができません。その時と同じ様な嫌悪感、怒りを、眞子さまと小室さんを衆目に晒してリンチするメディアの姿勢を見て、デジャビュの様に強く感じてしまうのです。
眞子さまを報道するメディアがやりすぎだと批判されることに対し、とんでもない言論の自由の侵犯だ、言論妨害だと叫ぶ声が聞こえてきます。このような人々は、黒人は理由なく警察官に殺されても当然の差別されるべき対象だ、ということも言論の自由だとして正当化するのと同じ発想です。自分と異質であることを理由は問わずに単に否定する、根っからの差別主義者の姿がそこには見て取れます。
自分の娘に『絶対男子を生む義務』を課すことに耐えられるか
眞子さまの結婚とは直接の関係はないのですが、最近の皇室の話題としては、女系天皇を認めるか認めないかという問題もメディアを賑わせることが多くなっています。
この話題を考える時も、もし自分がその立場になったらと想像するととても耐えがたい状況が見て取れます。それは、天皇は男系男子が継承することを維持することの意味です。つまり、女性が天皇の継承者と結婚する時には、「必ず男子を生まねばならない」ことを義務として課せられることです。
女性としてはどれほどのプレッシャーかと想像するだけで耐えられません。自分事で考えると、例えば自分の娘にその義務を課しても良いかと聞かれたら、万難を排してその義務から逃れさせます。
秋篠宮さまの御長男、悠仁さまの世代に他に男系男子の継承候補がいない中では、悠仁さまの結婚相手は、必ず男子を出産しなければならない、という恐ろしいプレッシャーに晒されることになります。果たして、特権階級とは言え実態は檻の中である皇室で、なおかつ必ず男子を生むことを課せられる人生を望む女性が、果たしてどれほどいるのでしょうか。
その様な状況も踏まえ、政府の有識者会議では、旧宮家の皇籍復帰も含めて議論が進んでいる様です。
ヤフーニュース/共同通信 女性・女系天皇見送り 現在の皇位継承順位維持 6/16(水) 20:46配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/e4bb4349671a61b721637c75703e38d95ea2e59d
ただ、旧宮家の男系男子が皇籍復帰するか否かに関わらず、悠仁さまの御結婚相手が男子を生まねばならないというプレッシャーに変わりはありません。
また、旧宮家がどの程度いるのか等は未だ公にされておらずわかりませんが、仮に将来の皇室を支える為に旧宮家の皇籍復帰が実現した場合でも、旧宮家の男系男子の結婚相手の方々も同様に、男子を生まねばならいとのプレッシャーを受けるのは変わりありません。
万世一系の日本固有の伝統を大事にする思想は一定の理解はできるものの、世界的に激変している社会情勢で叫ばれるジェンダー平等の新たな風潮の中では、極めて異質なものと言わざるを得ません。
皇族も旧宮家も皆、一人ひとりはそれぞれ人格をもった人間に他なりません。男の子を産むことを目的とした存在が、これからの人権を意識した社会の中で安定したものと言えるのかは、やはり積極的な議論が求められると思います。
作り物に過ぎない『虚構』は書き換える
昨今SNSでの誹謗中傷で自ら命を絶つ人が後を絶たず、社会全体としての対応策が盛んに叫ばれています。ネット環境は匿名での他人の攻撃を可能にし、反撃する術を持たない弱者は、他人が勝手に創り出す根拠の無い虚構に自らもはまっていき、取り返しのつかない事態を招くことが起きてしまいます。
ただ、そんな虚構は所詮人が頭の中で勝手につくった作り話に過ぎません。
ユバルノアハラリ氏は著作「サピエンス全史」で、人が他の動物にはない特殊な能力である「虚構/ストーリー」を駆使して世界を支配してきた様を明らかにしていますが、日本の歴史も、皇室も、万世一系も、全て過去から現在にかけて日本人が頭の中で構築した「ストーリー/虚構」をもとに行動して積み上げてきた結果に過ぎません。
ただ、ハラリ氏が指摘する様に、これらは全て虚構、作り話です。作り話なので、事情が変われば作り替えても良いのです。
日本が世界に誇る万世一系の天皇制・皇室ですが、さすがに2000年もたつと、社会も変わるし、人の考えも変わります。
新たな時代に合わせて、ストーリーは書き換えれば良い。それがハラリ氏が指摘している、人が世界制覇を達成した特殊な能力に他なりません。皇室の在り方も、時代に合わせて書き換えてゆくべきものと言えます。
『旧宮家の復帰』も『女系天皇』も全部認めた上での継承順位
女性皇族が男子を生まねばならないというプレッシャーを低減させるには、女系天皇を認めるということが挙げられます。これは既に政府・有識者会議でも議論が開始されていますが、世論も賛否が明確に分かれています。悠仁さまの御誕生により、一旦は議論が小康状態になっているとは言え、根本的な解決にはなっておらず、継続的な課題として議論は必要です。
男系男子にどうしてもこだわる人は、その理由として過去2000年続いてきた世界に他に類を見ない日本が誇る伝統であるという事実が挙げられます。旧宮家を復帰させることはその解決にはなるものの、逆に今現在は民間の中に吸収されて、どこでどうしているかもわからず、人となりも不明で「世俗にまみれた」旧宮家の方々をいきなり皇族とさせるのはいかがなものか、という意見もあります。
ただもし仮に旧宮家を皇籍復帰させたとしても、男系男子にこだわる限り、男子を必ず出産せねばならないという基本的人権を侵害された立場の女性が存在し続けることになります。
そこで、日本の伝統を守る意味と、人権を配慮する意味の双方を考慮した形としては、旧宮家も復帰させた上で女性天皇・女系天皇も認める、という方法があります。
旧宮家を復帰させたとしても男系が途絶える確率は存在しており、その場合でも(最悪でも)女系天皇を認めることで、天皇制は続けることができる。
ただ、皇室に対する国民の愛着は、象徴天皇制を維持していく上での生命線と思われますが、例えば愛子さまは、現天皇陛下の直系として小さい頃から国民がみな成長を見守ってきており誰しも愛着を持っている存在です。そんな愛子さまに女性天皇を認めることにして即位いただく。平行して旧宮家の男系男子の皇籍復帰も進めて、愛子さま、悠仁さまの後に継承していくことで、万世一系の男系男子が継続することを維持できる。
将来的に、男系男子が途絶えた時のことにも備えて女系も認めることにしておくが、男系男子を継承順位上位としておくことで、結果的な男系男子の万世一系を維持していくことができます。
こうすることの一番大きな効果は、後継ぎを生む立場の女性の負担を減らすことです。
今の時代、様々な価値観がある海外の国々の間では、日本のこの様な男系男子にこだわる皇室の姿は何とも古い体質に見えるでしょうから、世界の中に存在する日本としてどのような皇室の在り方が良いのかは、今後の国民の広い議論にゆだねていくのが良いのではないでしょうか。
皇室を語る時に忘れてはならないこと
皇室に関する話題は国民の関心が高いだけに、メディアは金儲けのための視聴率・部数獲得目的で様々な形でノンポリ的に情報を重ねて発信する傾向があると見えます。現在の眞子さまのご結婚報道は、小室さん周辺の疑惑の存在を考慮したとしてもさすがに常軌を逸したリンチ報道になっていると言わざるを得ません。
皇室という特別な立場にいる方々がその特別さ故にご自身の心情をそのまま表明することができない事情を逆手に取って、メディアが執拗に攻撃をするさまを見るのは、米国における根強い人種差別による警官の黒人の射殺が後をたたない状況を見るときに感じるのと同様の嫌悪感を覚えてなりません。
目の前に見える光景はメディアが金儲け目的の為に作り上げた虚構であるかもしれないことを忘れずに、もし自分がその立場だったらと想像して俯瞰してみる目線は、皇室が今後も健全に続いていく為には欠かせないものと言えます。皇族の方々も、我々と同様に日々一喜一憂しながらたまには失敗したりする生身の人であることは、決して忘れてはならないと思うのです。
それでは。