=(1)『BEV』して『虚構』を見極め『自律思考』する=
<目次> ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ キーワード(1) 『虚構/ストーリー』 キーワード(2) 『BEV』 Bird's-Eye View キーワード(3) 『自律思考』 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
こんにちは。柳原孝太郎です。
『馬の骨でも考える』では、様々なメディア・ネットで報道される世の中のできごとを取り上げ、馬の骨である当方が考えたこと、読者にへぇ~、と思ってもらえそうなことを書いていきます。書いていく上での当方の考え方の『キーワード』が三つありますので、最初にそれを紹介します。
キーワード(1) 『虚構/ストーリー』
ユヴァル・ノア・ハラリ氏。イスラエルの歴史学者で、『サピエンス全史』で世界に衝撃を与え、続編『ホモ・デウス』『21 Lessons』を合わせた三部作で人類の過去・現在・未来を見通す独特の知見が注目を集めています。歴史学者でありながらAIの見識が高く、AIが影響を与えていくであろうこれからの世界の中で人類の未来も予見するなど、三部作以降も各方面で発言・文筆を続けていますので、ご存じの方も多いと思います。
ハラリ氏を一躍有名にした『サピエンス全史』に『虚構』がキーワードとして出てきます。
ハラリ氏の虚構について当方が思ったことは次回改めて書きますが、『虚構』という単語自体、陰謀論的でとりあえずマイナスイメージを感じる向きが少なくないでしょう。ハラリ氏の意図を理解しやすくするために、ハラリ氏が原著で言っている『Fiction, or, Story』、つまり、『ストーリー』と置き換えると良いかもしれません。
ハラリ氏の著作を読んで彼の言わんとする『虚構/ストーリー』が理解できたとき、当方はガツンと殴られたような強い衝撃をうけました。世界が別の色に見える様になった、といったら言い過ぎでしょうか。
『ストーリー』は、人が脳の働きで創作して、他の人に言葉で伝えて、他の人も信じる様になる物語、作り物です。作り物なので、信じても良いし、信じなくてもよい。嫌なら作り替えても良いし、全く別のストーリーを自分で一から作っても良い、ということです。
現在地球の上で人間がしていることは、生物の一種である人間が、頭の中にある脳の生物的/物理的働きによって、言葉でアルゴリズムを構成し、自分固有の虚構/ストーリーを構築し、それを他の人にも信じ込ませて、信じた複数の人で集団を形成して協力し、その集団を大きくしていこうと行動をしている、そういう生命現象、物理現象である、と理解できました。
ストーリーは人の脳が創り出すので人の数だけあると言え千差万別、様々ですから、あるストーリーは人を幸せにすることもあるし、逆にある人を不幸のどん底にたたき落とす、時に人の命を奪う最悪の結果を招くこともあります。将来、人類・地球環境を滅亡に招くことも可能な反面、うまく使うと人類を存続、繁栄もさせる大きな力です。
そんなストーリー/虚構ですが、人類は科学技術を発達させてメディア/SNSの力を進歩させ、地域社会から国、全世界の隅々にまで影響力を伝播させることを可能にしています。自分の勢力を拡大しようとしている集団が、世の中の馬の骨たちをできるだけ多く自分の集団に引き込もうと、メディア・SNSで様々な手法を駆使して巧妙に虚構/ストーリーを仕組んで画策してきます。
そんな虚構/ストーリーが飛び交う社会の中で、「自律して自分自身で考えて行動したい」と思っている当方は、ストーリー/虚構は所詮人が頭の中で作った作り物のひとつに過ぎず、別のストーリーを信じても良いし、自分で別のストーリーに作り替えてもよい、ということを常に忘れずに、メディア/SNS情報を見る姿勢を心がけています。
これからこのブログでは、『虚構』と『ストーリー』という単語がキーワードとして頻繁に出てきますが、ハラリ氏の原著のFictionが元になっていますので、意味としては同じです。
ただ、当方は当方自身の日本語のイメージとして『虚構』と『ストーリー』のイメージが少し違います、つまり、『虚構』は人を騙すためのマインドコントロールの色合いが強いものとしてとらえており、『ストーリー』は自分で理解して信念を持って追い求めるものとしてとらえています。
読者各位のイメージが別であってもそれは全くかまわないのですが(『虚構のイメージ』事態が虚構ですから)、今後このブログでは、『虚構』と『ストーリー』を敢えて(皮肉の意味を込めて逆に)書き分けることもあるし、『虚構/ストーリー』と並べて書くこともあります。
ただ、結局、
『虚構』=『ストーリー』=『Fiction by Mr.Harari』
すべて、物理的な存在である人間の脳が、言葉でアルゴリズムを構築して創出した作り物、という意味で、横並びで同じものです。
キーワード(2) 『BEV』
「俯瞰する」という言葉を使うことがあります。読者各位は、どういうイメージを持っているでしょうか。
英語では、俯瞰するという意味の表現の一つとして、Bird’s-Eye View(=BEV)、鳥が上空から地上を見渡すことに例えることがあります。木を見て森を見ず、と言うことがありますが、地上で目の前の木を見るだけでなく、高い上空から森全体を見渡す。全体を把握した上で、全体の中に存在する個別の木(事象)を捉えて考えるときに使ったりします。
当方がBEVを意識する様になったのは、他でもない当方自身がこれまでの人生で、特に一生懸命になればなるほど、足元のこと、目の前にある木に集中しすぎて、森全体が見えなくなる、という経験を嫌というほどして来ているからです。
メディア/SNSからあふれ出てくる情報は、情報元あるいはメディア/SNS媒体自身がある目的(虚構/ストーリー)の実現のために工夫・操作・細工をして発信しています。自分のストーリーを全面に出してくる場合もあれば、自分の本心であるストーリーは表向きにはわからないように隠して、あるいは形を変えて、視聴者・読者に気づかれない様に、目の前に木を突き付けて、森全体は見えない様にして、そのストーリーに受け手を引き込もうとすることもあります。
「自律して自分自身で考えて行動したい」と思っている当方は、情報が溢れている中で自分がどこにいて周りはどうなっていて、目の前にあるものは何なのか、その向こうには何が待っているのか、結局自分はどこに行きたいのか、どうしたいのか、などを確認する為に、頻繁に自分を俯瞰するイメージを持つことを意識しています。
自分を俯瞰するといっても、言うは易く行うは難しで、一生懸命であればあるほど、結局目の前の木に集中して全体が見えなくなるということになりかねません。ですから当方は目をつぶってBEVをイメージして、鳥になって上空に舞い上がり、高いところから地上にいる自分とその周辺を見下ろす、そんなイメージをするようにしています。
上空から見下ろして見える自分が何に対峙しているのか、周辺には何が見えるのか、道は何本あって自分はどっちに行きたいのか、ということを目をつぶってイメージしてみると、一生懸命に熱くなって目の前の木ばかり見ていたので見えなかったものが、見えてくることがあります。
特に何か大事なことを悩んでいるときは、それが自分にとって大事であればあるほど、その存在の大きさに圧倒されてしまう感覚に襲われるときがあります。
ただ、物凄く大きなできごとで圧倒されそうだとしても、それは所詮、虚構/ストーリーです。人が頭の中で作った、作り物です。
それ以外の別のストーリーもあります。悩んでいる目の前の虚構が実はそんなに大きなものではない、大したことはない、というイメージを持つには、自分と自分の悩んでいるものがいかに小さい存在なのかを客観的に見るようにすると良いと思います。BEVして上空に舞い上がって地上を見下ろすと、広い大地の上にポツンと小さくたたずむ自分と目の前の木が見えます。自分と目の前の木が本当に小さい存在だということがイメージできます。
BEVのイメージは、そういう自分と目の前の木の小さな存在と、自分を取り巻く広い世界を意識することができ、広い世界には自分を助けてくれるもの、頼りになるものがたくさん広がっているという期待感・安心感を得ることを助けてくれます。
BEVして見えた森全体を意識した上で、改めて地上に降りて、目の前の木に対峙してみる。そうすると、悩んでいたもやもやが消えて、クリアに見えることがあります。自分が本当にやりたいことであれば、森全体の中での目の前の木の意味は、くっきり見えます。それが自分にとって意味があることであれば、その時は、何も悩むことはありません、とことん目の前の木にがっぷり四つで取り組めば良いのです。
BEVして全体を眺めてから地上におりて、わからなくなったのでまたBEVしてみてもう一回地上に戻って、その繰り返しです。
何気なく見ているメディアの情報、SNSの攻撃、人に言われる話は、表面的にはキラキラ見えていたもの、なんかものすごく大きく見えて圧倒されていたものでも、BEVしてみることで、実際には全体の中で、自分にとってどういう意味・位置付けをもつのか再認識する、あるいは、それまで意識していなかったことや忘れていたことに気が付くことがあるのです。
当方は晴れの日に時間があると、近所の公園に行って芝生の上に寝転びます。青空を見つめて、目を閉じて、BEVをイメージします。鳥になって雲の合間の青空の中にぐんっと舞い上がり、元いた場所を見下ろしてみます。そこには、公園の芝生の上に寝転ぶちっぽけな自分と、その周りには、自然と建物と人が満ち溢れる大地が広がっています。世界は、とても広いのです。当方を助けてくれる何かが、誰かが、どこかにいそうな気がしてきます。
キーワード(3) 『自律思考』
上記のキーワード(1)(2)に、『自律』という単語が出てきました。虚構もBEVも、結局当方が『自律思考・自律行動』がしたい、と考えて来たから特に意識する様になったものです。
自律の定義はネットをたたけば様々なものがでてきますのでそちらを参照頂くとして、「自律して自分自身で考えて行動したい」と考えている当方は、その為にまず置かれた環境を、誰かの色メガネのフィルターにかけずに客観的にありのままに把握したいと思います。その為に、BEVのイメージをするようになりました。
では、BEVして見えるものは結局何なのでしょうか?結局それらはほとんど全部、人間のしわざ、すなわち、人が頭の中で創出した作り物、虚構/ストーリーです。
当方にも、誰にでも、それまで生きて来た中で蓄積されてきたその人固有の経験、ストーリーがあります。物心ついた時から、ストーリーは始まっていますが、その人が何を見て、何を聞いて、何を考えて、どう行動したか、その積み重ねの中でストーリーは何度も書き換えられていきます。そうしてその人にしかないその人固有のストーリーが出来上がっていきます。
人は一人では生きて行けず、集団で生きています。集団の中には、様々な人がいて、その人達は皆その人特有の別のストーリーを持っています。ベクトルが同じストーリーもあれば、対立するストーリーもあります。ただ、集団の中で対立ばかりしていては、集団がまとまらずに存続できません。その為に集団には一定のルール、集団のストーリーができあがります。
集団も様々です。人が生まれて物心がついて初めて認識するのは、家族という集団です。次に学校に入り、学年が上がっていき高校に行ったり大学に行ったり、地元のそろばん塾に行ったりサッカークラブに入ったりします。そうして学校を出ると社会にでて、会社だったりお店だったり働く集団に属して、生きていきます。あるいは、起業して自分が始めたストーリーに回りの人を巻き込んで行ったりします。そのうちに結婚して新たな家族という集団を得ます。また、場合によると国を超えて外国に、世界に出ていきます。
行った先々の集団では、集団が存続するための、あるいは集団の目的を達成するための固有のきまり、ストーリーがあります。集団に属する限り、基本的には、その集団のストーリーに従う必要があります。
ただ、集団のストーリーが、属する人すべてを幸せにするとは限りません。ある人を幸せにするストーリーだったとしても、他の人も幸せにするとは限りません。純粋な人を不幸に落とすストーリーもあります。場合によると、人が命を落とす結果を招く最悪のストーリーもあります。
ただ、それらすべては虚構/ストーリー、所詮、人が頭の中で創出した作り物です。
集団のストーリーがおかしいと思ったら、その集団を出るのも一つの方法ですが、自分が集団を去る前に、自分の頭の中で新たなストーリーをつくりだして集団の他の人に伝播させ、自分のストーリーを集団のストーリーにしても良いのです。
生きていく上では、自分の思い通りになることばかりではありません、時には自分の大切な人の為に、あるいは自分の夢の為に、意に沿わないストーリーに従わねばならないこともあります。会社で働くというストーリーはその典型的な一つかもしれません。その場合でも、『自分の意には沿わないが敢えてそのストーリーを信じる』ということを、自分自身が考えて、自分の意志で実行したい。無意識のうちにやっている、あるいは、マインドコントロールされてやっている、ということではなく、自律思考で決めて自律行動で前に進みたい。
無意識のうちにやっている、あるいは、マインドコントロールされてやっている、ということを続けていくと、自分がコントロールできないストーリーに身を任せていることになります。自分の意図しないストーリーは勝手に独り歩きしていきますので、取り返しのつかない道に迷い込んでしまうことがあります。そうならないためには、自分で考えて自分できめる。自律思考・自律行動がとても大切であると思っています。
不幸にならなければ、あまり深く考えず、集団のストーリーに身を任せて流れていても、楽だから良いではないか、楽しいからこのままでいたい、と言う人もいるかもしれません。自律思考してそうするのであれば、当方は大賛成です。
ただ、あまり深く考えず、自律思考をあきらめる、というのは残念ですね。
なぜ、当方は自律思考したいのでしょうか。これはシンプルです。せっかく人として生まれて、考える、という能力を授けられたからです。ハラリ氏が教えてくれた、人間だけがもっている、頭の中で虚構を構築する能力です。
当方は一片の馬の骨ですが、考えることが大好きなのです。
それでは。
3 thoughts on “『馬の骨でも考える』の3つのキーワード”
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