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馬の骨でも考える

小山田氏問題に見る「過去の過ちを背負う」意味

Posted on 2021年7月22日2021年7月22日

=自分を俯瞰して見える『再挑戦』のストーリー=

<目次(14)>

・「再挑戦できない社会でいいのか」という目線
・「今、直接謝りたい」から見透かされる本音
・小山田氏から見えていた世界
・自分を俯瞰することで見える『再挑戦』のストーリー

「再挑戦できない社会でいいのか」と言う目線

小山田圭吾氏の五輪作曲担当辞任の問題は、辞任後もネットで尾を引いて収まりません。

小山田氏の過去のいじめ告白内容は正直嫌悪感を覚えるしかない内容で、小山田氏の辞任に異論を唱えるものはありませんが、「再挑戦できない社会でいいのか」という目線での発言はあります。

スポニチANNEX 
カズレーザー 批判浴びる小山田圭吾は自業自得「マイナスの埋め合わせ作業をしてなかった」 [ 2021年7月18日 11:09 ] https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/07/18/kiji/20210718s00041000235000c.html

当方も「再挑戦できる社会でありたい」と思う一人ではあるものの、今回の小山田氏の発言の中で強く違和感を覚えた点があります。それは、最初に炎上したあと五輪組織委員会が一旦続投を決める流れの中で、小山田氏が自身のTwitterで出した謝罪コメントの中に、

「私が傷付けてしまったご本人に対しましては、大変今更ではありますが、連絡を取れる手段を探し、受け入れてもらえるのであれば、直接謝罪をしたいと思っております」

との記載があったことです。この発言から、小山田氏の本音が透けて見えてしまったことが、多くの人から更なる反感を買い、ネットの炎上が収まらない事態に陥っている様に見えます。

「今、直接謝りたい」から見透かされる本音

小山田氏の過去のいじめ告白についての炎上は今回が最初ではなく、ネットを見ていると過去2-3回あった模様です。ただ、小山田氏は今回騒がれて初めて、自身で言っている通り「大変今更ながら」直接謝りたい、と表明をしています。ということは、過去ネットで炎上して謝る機会があった時にはまったく謝ろうとはしていない、ということです。

過去謝ろうとしていないのに今回謝ろうとしたこと、そこから小山田氏の本音が透けて見えてきます。

今回謝ろうとしているのは、それが今回の彼のビジネスに重大な影響を及ぼすからに他なりません。ビジネス目的の謝罪ですから、小山田氏が心の底で思っているのは、別に過去の話はどうでもいいんだけれど、謝らないと炎上が収まらずこのまま五輪の作曲担当のビジネスに影響を及ぼすので嫌々謝ろう、という仕方なくやっている態度です。

国民もバカではありません。そんな心の底はすぐに見透かされてしまいます。過去のひどい発言内容を初めて知る多くの国民感情にも引火し、炎上は収まるはずもありません。 

小山田氏から見えていた世界

こんなことになってしまった一番大きな要因は、小山田氏は自分から見える世界の中だけで生きて来たので、自分が世の中からどう見えるかということには一切関心が無かったからであるように見えます。

件の音楽雑誌に過去のいじめ告白が出た時には、雑誌でインタビューを受けるくらいですから、ミュージシャンとして売れ出していたということになります。

そのインタビューで、かような嫌悪感しか覚えない発言を敢えてした小山田氏の本意と、出版社側がそれを発売した目的が、当方にはまったく理解ができませんが、それ以降結果として今回東京五輪の作曲担当に就任するほどの実績を上げた、ということになります。

ただ、過去何回かいじめ発言が炎上していたということは、ファンは少なくともかような過去があったことは知ることになったのでしょうが、それでも、小山田氏の作品を評価し応援を続ける根強いファンが存在したということになります。

当方自身は、過去のいじめ告白の内容がひどすぎて、そういう行為をした人が作る音楽など聞く集団はカルトにしか見えず近づきたくありませんが、自由主義の日本では音楽をつくるのも、聞くのも自由です。そういうクローズドサークルが出来上がっているということです。

結局、小山田氏が見ていたのは、自分の過去の素行はどうでもよく、自分の作品を評価してくれる人がおり、ファンがついてくる、そういう自分中心のクローズドサークルの世界だけなのでしょう。自分の世界に閉じこもって過信している中で今回の五輪の話が来たとき、国民世論は自分をどうみるのか予測するというのは、無理筋かもしれません。 

自分を俯瞰することで見える『再挑戦』のストーリー 

小山田氏が辞任した後も未だにネットはざわついていますが、五輪もついに明日開会式で本格的に競技が始まり報道も各選手の活躍と競技周辺で起こるコロナ関連事態にシフトして行くでしょうから、しばらくすると小山田氏の件はネット上ではフェードアウトしていくのでしょう。 

ただ、それでも当方がちょっと気になるのは、『再挑戦できる社会』についてです。  

スポニチANNEX 
ホリエモン「一生公の場では何もできなくなったってことが確定した」 小山田問題に言及 [ 2021年7月19日 21:27 ] https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/07/19/kiji/20210719s00041000544000c.html

『再挑戦できる社会』かどうかは、『再挑戦』の定義によって異なりますが、小山田氏にとっての再挑戦とはどういうものでしょうか。小山田氏は再挑戦するのでしょうか。 

過去何度炎上しても作品は評価され、離れないファンがいた小山田氏のことです、元いた自分のクローズドサークルの世界に戻るのは簡単ですが、それは再挑戦ではありません。小山田氏の再挑戦がどういうものか、再挑戦したいのかどうかは知る由もないですが、もし上記の記事でホリエモンが一生無理だと言っている公の舞台へ再挑戦するのであれば、それを実現するストーリーはあるのでしょうか。それを実現するのが、「再挑戦を可能にする社会」であると思うのですが、それを可能にするストーリーは、小山田氏にあるでしょうか。

また何年か後に小山田氏が公の舞台に登場しようとしても、過去の経緯に今回の五輪担当辞任の経緯が追加されてネットが叩くのは間違いありません。再挑戦を可能にするには、次に公の舞台に立った小山田氏がネット世論から俯瞰して見られた時、五輪作曲担当辞任後のストーリーが見える様にしておくことが必要なのではないでしょうか。

小山田氏は今回の五輪担当辞任の経緯で、「今更ではあるが、直接謝罪をしたい」と発言しました。これは実行されるでしょうか。 

小山田氏が過去何度ネットで炎上しても自身の過去の言動について謝罪する行動は一切なかったことからすると、今回も辞任で幕を引いて終わりだろうな、謝罪などはしないのだろうなとも思えます。

もし小山田氏が今回発信した謝罪の内容が五輪ビジネスにおける自分の利害目的ではなく、人としての良心に基づいた心からのお詫びの気持ちなのであれば、自分が公にした「連絡を取れる手段を探し、受け入れてもらえるのであれば、直接謝罪をしたいと思っております」は、実行すべきであると思います。過去の自分の行動は五輪とは何の関係もありません。小山田氏が「消えない過去の過ちを背負う」意味を理解し、再挑戦したいと思うのであれば、そのストーリーは、表面的ではない良心の呵責からくる心からの謝罪を表す『行動』でスタートするのではないでしょうか。そのストーリーが始まるかどうか、成功するかどうかは、小山田氏に良心の呵責があるか次第ですが。

それでは。

※自分を俯瞰することについては以下。

『馬の骨でも考える』の3つのキーワード

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