=確率を軽視し科学的に考えない政治が招く惨状=
<(24)目次> ・ ゼロコロナでもウィズコロナでも人の命は犠牲になる ・ 科学を無視する政治が招く惨状 ・ 二者択一で煽るのはメディアの金儲け ・ 国民の事を考え科学的に判断し必要な財政出動をする政治に
こんにちは。柳原孝太郎です。
新型コロナ感染症が感染爆発して医療崩壊を迎えていますが、8月20日の全国知事会では一部の知事から「ロックダウンの様な徹底した人流抑制策」を求める声が上がり、また一部の医療従事者からも同様の意見が聞かれます。
NHK NEWS WEB “ロックダウン”のような抑制策求める緊急提言 全国知事会 2021年8月20日 19時40分 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210820/k10013214841000.html
一方で一連の感染症対策を主導してきた現政権の国民の自粛を中心に据えるやり方、考え方を「ゼロコロナという病」だと批判する意見もあります。
YouTube 【東京ホンマもん教室】8月14日 放送 見逃し動画 医療ビジネス主義の大罪〜“ゼロコロナ”ホンマもんの話〜
医療崩壊を迎えている日本の医療現場の混乱ぶりを反映して様々な意見が飛び交い、それを収束させるだけの知見も実行力もリーダーシップも無い現政権の言動からは、現状を分析して対策を立てて方向付けていく姿勢を期待するのは大変困難と思えます。
もし自分が新型コロナに限らず何かの理由で救急搬送される事態になった時に、見捨てられて命を落とすかもしれないというリスクを、冗談ではなく現実のものとして受け止めなくてはならない我々国民の不安は増すばかりです。
ゼロコロナでもウィズコロナでも人の命は犠牲になる
上述した藤井氏・木村氏の共著「ゼロコロナという病」の言わんとする、もっと科学的に考えよ、無駄に経済を止めて経営難による自殺被害者を増やすな、という考えは全くその通りと思います。
もし医療崩壊が起きて救急搬送が拒否されるような状況になっていないのであれば、自粛自粛と言い続けるのではなく例えばワクチンパスポートによる経済活動の再開によって窮地に立っている飲食店経営者を救済することで、経済的に行き詰まった人が自殺に追い込まれるリスクを少しでも軽減できるのではないかと思います。基本的にはゼロコロナの弊害で命を絶つ人を止めようという観点には反対するところはありません、
ただ、経済活動を再開する前提としては、ウィズコロナを前提とした医療体制構築ができていること、つまり、一定の新型コロナ患者が発生しても患者の命をしっかりと支えて救済する医療システムが構築されている前提が必要となるでしょう。ウィズコロナで社会生活・経済活動を回しながら、感染した患者は医療体制で命を救うシステムが構築されているのか、という観点です。
ただ残念ながら、現在の日本はゼロコロナ・ウィズコロナ両方の観点から最悪の状態となっています。ウィズコロナで患者を受け入れる体制が構築されておらず医療崩壊を招いている状況では、強力な反ゼロコロナ的政策を推し進めるのは極めて困難な状況と言わざるを得ません。
ゼロコロナ政策で有名なのはニュージーランドですが、デルタ株の猛威によってその綻びが出始めていますが、そもそもゼロコロナを実施する国は私権制限を伴うロックダウン的な政策が打てる国です。日本はそのような私権制限を伴う法律、有事法制は持っていませんし、政府も何か策を講じようとする姿勢もありません。そもそもゼロコロナができる状態では無いにも関わらず、ゼロコロナ的な政策を国民の自粛に頼って実現しようとしていることに、そもそもの科学的な考えを放棄した無理な姿勢が表れていると言えます。
長引く緊急事態宣言で経済活動の制限が続くことに耐えきれず命を落とす人を救うこともできず、一方で医療崩壊して放置された患者の命も見捨てているという、まさに八方ふさがりの最悪の状況にしか見えません。ニュージーランドの様な厳格なロックダウンを伴うゼロコロナ的な政策も、ワクチン接種の進展と共に欧米で実施に踏み切った(その後またデルタ株の拡大でとん挫していますが)ワクチンパスポートで経済を回すようなウィズコロナの政策も、そのどちらの政策も日本は法整備も無くそのための医療体制の整備も何もないために、両方ともできないと言う世界でも類を見ない中途半端な新型コロナ対策を取っている国の様に見えます。
科学を無視する政治が招く惨状
このような惨状を招いているのは、言うまでもありません、現政権が自らの政治目的の為に確率を無視して科学的に考ることはせず、自らの根拠のない虚構に捕らわれた政策を進めているからに他なりません。
もちろん人類が初めて対峙する新型感染症ゆえ、科学的・医学的な分析もすぐには精度はあがらず、試行錯誤を繰り返すのはやむを得ません。ただ、一年半前の発生のあと現在の第5波感染爆発が医療崩壊を引き起こすに至った日本の現政権は、発生から現在に至るまでの一年半ひたすら楽観的で、国民に自粛させていれば感染は抑えられるという完全に科学を無視した虚構に閉じこもっている様に見えます。
感染症は変異を繰り返すので後から大波が来るかもしれないことは、100年前のスペイン風邪など過去の感染症の経験からも科学的・確率論的にもわかっていたはずです。もし大波が来たらどうする、という可能性を無視せずに、現状を有事と捉えて財政投入・法整備を含めて事前の準備を進め体制を整えていれば、今回の第5波で迎えている感染急拡大に対しても、野戦病院的な受け入れ態勢を確保して救急搬送が拒否されるような事態は避けることはできたはずです。
科学的に考えることを放棄して確率を軽視することから日本人が経験した忘れてはならない事故・事件は、2011年3月11日東日本大震災の後発生した東京電力福島第一原子力発電所爆発事故が挙げられます。
震災発生以前から、15.7メートルの津波が襲う可能性が指摘されていたにも関わらず、自分が経営者の間は起こらないという根拠のない楽観論・虚構に捕らわれていた当時の東京電力の幹部がその可能性を無視して防護壁の設置などの対策を怠った為に、日本人にとっては取り返しのつかない原発事故が発生してしまいました。震災の発生は防ぐことはできませんが、震災の可能性・確率を無視せずに原発の震災対策を講じていれば、原発の爆発事故は防げたはずです。
二者択一で煽るのはメディアの金儲け
また、少し気になるのはここにも見えるメディアの姿勢です。つまり、前出「ゼロコロナという病」で木村氏は、テレビ朝日のワイドショー関係者が「この話題は長引きますよ。この新型コロナ、ガンガン煽って、ガンガン行きましょう」と煽っていたことを書いています。
このコメントから象徴されるようなメディアの姿勢は、残念ながらいつでもどこでも見られるようになっています。
新型コロナの恐怖を煽れば国民は注目するので視聴率は上がりメディアは儲かる。世論に後押しされた政府は自分の政治的立場をリスクに晒す法整備は後回しにしたまま、飲食店の営業自粛要請を始める。すると経営難に陥った飲食店の声を拾ったメディアは今度は、自粛で窮した飲食店経営者が自殺に追い込まれていると煽る。すると今度は飲食店側が政府の自粛要請に公式・非公式に抵抗する様になり、これまたメディアが取り上げて政府の姿勢を攻撃して煽る。自粛疲れした国民は我慢しきれずに街に出て自粛要請を無視した飲食店に繰り出す。そうしてまた感染症の波を迎える。すると体制整備がなされないままひっ迫する医療現場が悲鳴を上げ、メディアが取り上げて煽る。そうして緊急事態宣言が発令されると、自粛に協力していた飲食店もいつまで自粛が続くのかと我慢の限界を叫ぶ声を上げて、またメディアが煽る。
新型コロナウィルスが発生してから一年半、ずっとこんな感じでメディアが煽っている状況は続いて来ています。その間、一番大変なのは、政府の中途半端な政策の為に整備が進まない医療現場で苦闘する医療従事者、また長引く緊急事態宣言に不十分な営業補償で苦境に陥る飲食店でしょう。
一方メディアは、風がどちら向きに吹いても、逆に吹いても、常に風上に位置を変えながら煽り続けて、困っている人にはお構いなしに(都度困っている人は誰であっても困っていることをニュースソースとしてメシの種にして)視聴率狙いの金儲けに徹しています。
何か釈然としない気持ちで、メディアの報道、その報道の中身だけでなく報道する立ち位置、姿勢が気になってしまうのは、当方だけでは無いと思います。
国民の事を考え科学的に判断し必要な財政出動をする政治に
メディアの商業主義のそんな風見鶏的なその場主義は、そもそも元々そんなものだと言ってしまえばそれまでですが、メディア報道はそれを見る我々がメディアの虚構に陥ることなく全体を俯瞰できていさえすれば、伝えられる情報を自分自身で自律思考して判断して行動することは可能です。
一方で、メディアが伝える日本の政府・政権の振る舞いは信念の無い風見鶏では困ります。現在の世論調査、支持率の報道に言及するまでもなく、国民の不信感は収まるところを知りません。状況が混沌として複雑を極めていますが、シンプルに考えると、政府には二つのことをして欲しいということに帰結するのではないでしょうか。
一つは、国民の事を考えて政治をして欲しいということ。
これは政治家だけでなく官僚も含めて公的な立場にある人すべてに言えるのですが、公的な立場にある人は、国家公務員倫理規程にある『国民全体の奉仕者』としての使命に対する誇りと自覚を忘れずに政治をして欲しいということです。現在の政府(政治家・官僚)からは、自分の政治的な立場を維持する為の行動が全面に出ており、真に国民の事を考えている姿勢がみじんも感じられません。
もう一つは、国民全体に奉仕する為に必要な財政出動には躊躇しないで欲しいということ。
ゼロコロナ病とも言える政府の自粛要請で被害を受けている飲食店経営者の為にも、あるいはウィズコロナでも救われるべき感染患者の命を守る医療体制を整備する為にも、いずれにせよ財政投入は必要です。しかし、政府・財務省は、必要な財政投入を十分にしていると言える状態からは程遠く、その為の議論をすべく野党が求めても、国会すら開かれません。とても国民の事を考えて行動しているとは思えません。
平時ならまだしも、現在は戦後初と言ってよい有事であり、更には信じられないことに一年半何も対策が打たれないまま状況が悪化しています。にもかかわらず、国民の為に財政出動をしようとしない政府は、本当にその存在意義を問われねばなりません。
政権与党・自民党でも総裁選に向けた動きがが本格化してきますが、総裁候補の中には高市早苗元総務大臣の様に、通貨発行権を持つ国は国債発行によって財政破綻することはありえないことを根拠とする積極財政投入を公言する人も登場しています。かような動きは歓迎すべきことですが、いかんせん、遅い。
今は、平時ではなく有事です、自民党でも野党でも関係なく、国民が直面している国難を解決する為に考えて行動し、その為に躊躇なく財政投入をしてくれる政治家に国を任せねばなりません。
自民党総裁選の日程も発表され衆議院選挙に向けての動きが本格化しますが、今回の選挙、ひとりひとりが持つ投票権はたかが一票ですが、されど貴重な一票です。一票ずつでも真剣に今の日本を心配する国民があつまれば一大勢力です。国民全体の奉仕者として有事を受け止めてしっかり財政投入して国の体制を立て直してくれる、そんな政治家を探して、渾身の一票を投じたいと思います。
それでは