=ナチスのホロコーストと反LGBTQ思考の共通性=
(49)目次 ・『家族のあり方』は国家が国民に介入するものか? ・『全体の有り様が変わると困る』と言う発想 ・岸田総理の『全体』発言から思い出すナチスドイツ ・人は自分の出自をコントロールできない ・岸田総理、あなたはいつから男性ですか?
こんにちは。柳原孝太郎です。
岸田総理が、同性婚制度の導入について、「わが国の家族のあり方の根幹にかかわる問題であり、極めて慎重な検討を要する」と発言したことが報道されています。
岸田首相、同性婚制度「家族のあり方の根幹にかかわる問題」 1/26(木) 11:34配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/42950c123dd1e2f15e2d054160acec59a8991448
他のニュースソースからも本件の岸田総理の発言が報道されているので、ピックアップしてみます。
「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」 首相、同性婚に否定的な考え REUTERS/共同通信, Kyodo 2023年2月1日6:21 午後17時間前更新 https://jp.reuters.com/article/idJP2023020101001774
「こうした制度改正を改正するということになりますと、すべての国民にとっても、この家族観や価値観やそして社会が変わってしまう、こうした課題であります。だからこそ、社会全体の雰囲気、全体の有り様、こうしたものにしっかり思いを巡らしたうえで、判断することが大事だ」 「政治家として考え方、判断を明らかにすることは大事なことだが、価値観や心に関わる問題については、丁寧さは必要だ」 岸田総理 同性婚法制化「社会が変わってしまう課題」 重ねて慎重な姿勢を示す テレ朝news - 9 時間前 https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000285829.html
これらの発言に対しては、脳科学者の茂木健一郎氏がツイッターで
「じゃあ、世界のいろいろな国がもう変わっちゃったんだね。それは大変だ!!!」とつぶやき、岸田総理が言うのは古い価値観でありその古い価値観こそが少子化を招いていると主張しています。
茂木健一郎氏、岸田総理の同性婚「社会が変わる」にため息「古臭い価値観」が少子化最大の障害 https://www.daily.co.jp/gossip/2023/02/02/0016015378.shtml
茂木氏の指摘通り、岸田総理の発想は古い価値観であるように当方にも見えます。岸田総理の発言から見て取れる彼の発想の根底に流れている考え方を見てみます。
『家族のあり方』は国家が国民に介入するものか?
まず、岸田総理の発言の中に、極めて慎重な検討を要する、とありますが、『極めて』との単語が示す実態としては、検討することが困難である、つまり、認めない、と読み取れます。
同性婚を認めると『我が国の家族のあり方の根幹』が変わってしまうので認められない、ということは、LGBTQの人々が公式的に家族を構成することを国家として認めない、と宣言していることに等しいと受け止められます。
LGBTQの人々は表立って家族になりたい、などと言わずに、社会の表舞台に家族の構成要員としては登場するな、ひっそりと隠れて生きていけ、というのが、現在の日本政府の見解(岸田総理の意見)ということになります。
家族という国民一人一人が自らの個人の価値観に基づいて構築していけるはずのものに、国家が口を出すことは、日本国憲法が規定する基本的人権を大きく蹂躙するものの様に、当方には見えます。
ただ、自民党の保守層を中心に反LGBTQの考え方を有する日本人は、日本社会の中では一定の集団を形成しているのが見て取れます。
『全体の有り様が変わると困る』という発想
岸田首相の発言の中に、「社会全体の雰囲気、全体の有り様、こうしたものにしっかり思いを巡らしたうえで、判断することが大事だ」というくだりが出てきます。
これを読んだ時、当方は大きな違和感、と言うかむしろ、強い恐怖感を覚えました。
『全体』という言葉が出てきます。『全体の有り様』が変わってしまうので、LGBTQの権利を公式的に認めるわけにはいかない、と言う。この発言を聞いて、過去の歴史の中で、思い出すことは無いでしょうか?
そう、『全体主義』、ナチスドイツです。
岸田総理の『全体』発言から思い出すナチスドイツ
ヒットラーのナチスドイツは、『優生思想』の下、劣等民族(ユダヤ人など)の血が優秀民族であるゲルマン民族/アーリア人の血に混じらない様に、ユダヤ民族を世界から抹消しようと大量虐殺を実行しました。この身の毛もよだつ優生思想という虚構は、人類が決して忘れてはならない負の歴史として伝えていかねばなりませんが、恐ろしい虚構の根底にあるのは、人は自らの出自を選択できない、という事実を完全に無視して、結果として生まれ出た国・民族・環境・家族をもとに線引きをして、ある特定の集団に属する人々の人権を排除する発想です。
さて、この忘れてはならない人類の負の遺産を思い出しながら、現代社会を見てみると、どうでしょうか?そう、LGBTQに関する様々な言説を見ながら、気付くことがあります。反LGBTQの思想は、ナチスの優生思想にとてもよく似ているのです。
人は自分の出自をコントロールできない
当方は、そんじょそこらの馬の骨の子として生まれ育ちましたが、物心ついたときから、肉体も心も男性でした。気が付くと女性を好きになっていましたし、大人になって好きな女性と結婚し、子供を設けて、(今のところ)健康で穏やかな日々を過ごせています。
ただ、最近こんなブログを書きながら思ったことがあります(どの記事か忘れましたが、以前も同様のことをブログに書いた記憶があります)。つまり、自分が、自分であることに気づいたのは、いつだろう、ということです。
思考実験をしてみましょう。
当方は小学校のあるクラスにいて、同じクラスの女の子を好きになりました。思い切って告白したところ、その女の子から、
『キモイ!!!!男のくせに、何よ、なんで女の子を好きになってんのよ、気持ち悪いからあっち行って!!』
とけんもほろろに断られました。
そこで、クラスの同級生に聞いてみたところ、なんと、クラスの男の子は全員、男の子が好きだ、とのこと。女の子はどうかと聞いてみたところ、こちらも全員、女の子が好きだ、というのです。なんと、異性が好きなのは、クラスの中で当方1人だけだったのです。
さて、当方は、悩みます。自分以外のクラス全員が同性愛者です。恋愛対象が異性なのは、当方ひとりだけです。このまま、異性恋愛志向を続けると、明らかに、クラスでは浮いて、仲間はずれです。頑張って、男の子を好きになろうと思おうか。。。
この時に自分はどう思い何ができるのか想像して見ましょう。周りがそうだからと言って、自分は同性を恋愛対象にできるでしょうか?。。。
結論は、無理です。自分の気持ちは自分で決める前に、自分の心の底から湧き出てきます。
現実に戻って、自分の過去の恋愛を考えてみた時、生まれてからずっと、男性の当方は、恋愛対象は常に女性でした。これは、自らの選択として、そうしていたのでしょうか?
いえ、違います。気が付いたら女性が好き、自分の本能に従っていたにすぎません。もし、同性を好きになるのが社会の有り様、全体の雰囲気なので、恋愛対象を女性ではなく、男性にしろ、と言われて、できるか? いえ、当方は無理です、できません。
現在の社会を俯瞰してみると、現在の社会の有り様、全体の雰囲気の中では少数派かもしれませんが、逆の立場の人々は確実に存在しています。彼らのことを自分事として想像してみましょう。もし、男性として生まれてきた自分が、物心ついた時に、本能として男性が好きだという気持ちが湧いてでてきたら、それは自分の意志で何かを選択した結果なのだろうか。間違いなく、違うのではないでしょうか。それはもって生まれた自分の個性に他ならないと思うのです。
自分ではどうすることもできません、好きなものは好きなのです。自分が女性を好きであるのとまったく同様に、同性愛者は同性が好きなだけ、その様に想像することができます。同性愛者に異性を好きになれ、と言っても、自分が男性を好きになれと言われて全くできないのと同様に、
できないものはできないのです。
こうして自らコントロールできない属性で差別を受ける仕組みを俯瞰して見る場合、ナチスのホロコーストも同じ範疇に入っていることが見て取れます。
アウシュビッツで虐殺されたユダヤ人は、自ら望んでユダヤ人として生まれてきたのでしょうか?いえ、違います。自らコントロールできないことを理由に、なぜ虐殺されねばならないのでしょうか?
虐殺を実行したヒットラー他ナチスの幹部は、自らの選択でアーリア人として生まれてきたのでしょうか?そんなひとは、一人もいません。たまたま、そういう出自に生まれたにすぎません。いつから自分がドイツ人だったのか、思い出してみて欲しい。気が付いたら、ドイツ人だった、ただ、それだけです。単純に確率だけの問題です。
結果として獲得している自らの属性が優生であるという虚構を構築し、その虚構で世界を支配するために、他の属性の人を排除することは、人道的には到底許されるものではありません。
生まれてからの記憶を、皆さんもたどってみると良いと思います。自分が自分であること。自分が父親と母親の子供として生まれて家族として過ごしていること。自分が生まれたのが、○○県であること。生まれた国が日本であること。自分は男(女)であること。自分は女(男)が好きであること。
それらの中で、そうなる前に、自分で何かを選択して決めてきたことは、あるでしょうか?
何一つ、ありません。気が付くと、自分はそういう環境にいて、そういう志向をもっている。そのことを、生まれた後に、気が付くだけです。人は、自分の出自、および自分の心、自分がどういう志向を持つかは、コントロールできないのです。
結果として獲得した自分の存在、出自や心が、どういう属性を持つか、その属性がたまたま、周りの人と同じか、違うか。これは、単純に確率の問題にすぎません。
確率の問題、皆さんが宝くじを買うのと同じです。皆さんは殆ど当たらない宝くじ、なぜ買うのでしょうか?ほんのわずかでも可能性、確率が存在するからですね。社会には、ごくわずかだが宝くじに当たる人が確率的に存在する様に、同性が好きな人が確率的に存在するのです。単純に確率とバランスの問題にすぎないのです。そんな人たちのことを、あたかも存在しない、あるいは存在しては困るような扱いをするのは、しかも政府が国民にそのような対応をするのは、到底フェアとは言えません。
LGBTQを排除しようとする岸田総理の発想は、ユダヤ人をアーリア人より劣後すると虚構で断じ排除しようとするナチスの発想と同じ様に、LGBTQは女性(男性)を好きな男性(女性)よりも劣後するという虚構に支配されている様に見えてしまいます。
岸田総理、あなたはいつから男性ですか?
岸田総理の発言の中で、『心に関わる問題については丁寧さは必要だ』というものがありますが、この発言だけは正しい、と当方も思います。但し、岸田総理の行動は、180度真逆に、乱暴で粗雑極まりない対応なってしまっています。
心の問題は、上記で思考実験してみた通り、自分でコントロールすることは、できません。
コントロールできないにも関わらず、岸田総理は、全体の在り方が変わってしまうので、LGBTQの権利は公式には認めないという。心の問題であるのに丁寧に扱わず、全体のために(全体とは何か?)、周りがそうだから、あるいは自分の政治的な立場の為に、少数派のLGBTQの権利は認めない、と乱暴に一方的に断じている。
ならば、岸田総理に聞きたい。あたなは、いつから男性ですか?
いつ男性であることを、自分で選択したのですか?自分の肉体が男性、かつ、心も男性であると、いつどうやって決めたのですか?
答えは、気が付いたら、身も心も男性だった。それ意外には無いでしょう。
更に聞きたい、男性のあなたは、恋愛対象を男性にしろ、と言われてできるのですか?
答えは、できない、でしょう。
自分でできないことを、LGBTQの人になぜ強要できるのですか?
岸田首相は、ご子息がもし、LGBTQであるとしたら、それでもなお、自分の子供に対して、公式に家族を持つことはあきらめて、社会の表舞台からは隠れてひっそりと暮らせ、そういうのでしょうか?それでも我慢できないご子息がもし悩んで自分の人生に絶望して相談してきたら、何と声をかけるのでしょうか。
世界で、日本の社会で起きていることを、もう少し、自分事として、想像できないものでしょうか。
宝くじにあたったら、と想像することはできるはずです。同じように、自分の子供がもしLGBTQだったら、と想像してみて欲しいのです。
支持率が低いと言っても、日本の総理大臣なのですから。
それでは。