=(11)『森全体』を見るコントロールタワー不在の日本=
<目次> ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ・『目の前の木』だけを見つめる西村大臣 ・「金融機関/撤回」も「酒類販売業者/撤回せず」の不思議 ・『森全体』を俯瞰するコントロールタワーの不在 ・馬の骨でもできること、投票する! ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
こんにちは。柳原孝太郎です。
新型コロナ感染症対策の酒類提供停止要請に関する西村大臣の発言が波紋を広げています。彼の発言、その後の菅首相他政権幹部の発言を見ていて、当方が以下ブログ(1)で書いた、『目の前の木』だけを見るのではなく『森全体』を見るために俯瞰(BEV)するのが大事、ということを改めて再認識しています。
『目の前の木』だけを見つめる西村大臣
元々安倍政権下で経済再生担当であった西村大臣ですが、新型コロナ感染症拡大で新型コロナウィルス対策担当大臣も兼務することになった昨年3月以降、テレビで見ない日は無い程お茶の間ではおなじみになりました。
現在は元々経済再生担当であることを忘れるほど新型コロナ対応にかかりきりですが、ここ最近の「金融機関」「酒類販売業者」への酒類販売停止要請発言の波紋が止まるところを知りません。
発言に関する情報はメディア・ネットで多数あるのでそちらを参照してもらうとして、一連の西村大臣発言を見ていて当方が思うのは、そこに『木を見て森を見ず』の典型的な姿が見て取れるということです。
ロックダウンを実行する法的枠組みを持つ欧米とは違い、日本は独自の人権擁護・自由尊重の法体系からロックダウンをする法的根拠がありません。法的根拠がない中で人流を抑制するには、『自粛のお願い』をするしかない、というのが日本固有のコロナ対策のストーリーです。他に武器を持たない新型コロナ対策担当の西村大臣は、飲食店の酒類提供が全ての原因であるとの虚構にマインドコントロールされているかの如く、取りつかれたかの様な今回の一連の酒類提供停止要請の発言になっています。
ただ、『自粛のお願い』しか武器が無いのはコロナ対策担当大臣の責任だけではなく、当然政府全体、そのトップである菅首相の責任でもあります。新型コロナが日本で拡大してから一年半が経っていますが、一年半という時間は、より効果的であるロックダウン方式に近い私権制限を取り入れた日本版対応を法的に可能にすることも、またそれを実施する為の財源確保の為の財政投入の検討をすることもできたはずです。
一年半、ただただ国民の自粛頼みでの対応の他になんら対策の打てなかった政府が、担当大臣をして目の前の木を見つめることしかできない虚構に落ち込ませて、全体を俯瞰することができない状況に追い詰めている様に見えます。
「金融機関/撤回」も「酒類販売業者/撤回せず」の不思議
公権力が法的根拠が無いまま「金融機関」「酒類販売業者」に圧力をかけるのは、「金融機関」も「酒類販売業者」も、飲食店とビジネス関係があるからに他なりません。世論の猛反発を受けた西村大臣は、金融機関への働きかけは「融資を制限するとの趣旨ではなかった」、あるいは酒類販売業者への取引停止要請は「あくまで一般的なお願いであり、強制力を伴うものではない」と釈明しています。ただ、融資制限で圧力をかける趣旨が無いのであれば金融機関に働きかけをさせる意味は無いですし、強制力を伴う取引停止要請で無いのであれば、内閣府新型コロナ対策室はわざわざ国税庁酒税課を連名にする必要はありません。
これらの公権力による圧力は、独占禁止法で禁止されている優越的地位の濫用に当たるとの指摘もあり、法的枠組みを準備できない自らの能力の低さを隠して上書きしようとする政府の暴挙と言わざるを得ません。
一方、これらの政府対応を見ていて不思議だったのは、「金融機関」への働きかけを撤回した時に、なぜ後で結局撤回することになる「酒類販売業者」への取引停止要請を撤回しなかったのか、という点。ネットで情報を見ていますが、菅総理、西村大臣の謝罪会見を見ても、結局、誰が何をもとにどうやって方針を決めたのか、何が本当なのかよくわかりません。
どう見ても、森全体を俯瞰した上で個別の木をどうしたら良いか考えるという発想はまるでありません。金融機関は金融機関、販売業者は販売業者でそれぞれ別々に捉えるだけで、それらを全体の文脈としてまとめようという姿勢が全く感じられません。結局見て取れるのは、国民世論も含めた全体状況を俯瞰し自律思考して先を予測して行動することを放棄して、出て来る結果に行き当たりばったりで行動して後付けで説明を加えていく、『ゴールを動かす』政治の姿です。
現在は新型コロナウィルス感染症拡大という『有事』であるのだから、有事における一定の私権制限を含む法的枠組みを作る体制を構築するのがゴールであるはずですが、法的枠組みに踏み込めない政府は、ゴールをどこに定めて良いかわからなくなり迷走し、公権力による圧力という暴挙に及ぶに至っています。
『森全体』を俯瞰するコントロールタワーの不在
米国MLBオールスターゲームでの大谷翔平選手の活躍が報道され、マスク無しの満員の観衆が熱狂し、取り戻した日常を謳歌する米国の姿が報道されるのを見ながら、同じ地球上の話なのかと思うほど、日本の状況の違いに愕然とする思いです。東京オリンピック直前になって、二か月振りの新規感染者1000人超えの感染再拡大の兆しが強まる中で、感染症対策を二転三転させて右往左往する政府の無策ぶりは目を覆うばかりです。
つくづく、日本には日本全体のことを考えてバランスを取りながら前進させていくコントロールタワーが無いことを痛感します。
本来、その役割は政府であり、菅首相のはずです。ところが現政権は『国民全体の奉仕者』であることを放棄し、自分たちの虚構に捕らわれてゴールを動かしながら、まるで泥酔しているかの様に千鳥足でよろよろと今にも倒れそうに国の運営をしています。倒れる前になんとかせねばなりません。
馬の骨でもできること、投票する!
これでは、馬の骨と言えども、とても耐えられるものではありません。そんな馬の骨の当方に、何ができるでしょうか。ひとつだけできることがあります。そう、次の衆議院選挙で投票する! わずか一票ですが、貴重な一票です。一本一本の個別の木だけにとらわれることなく、森全体をBEVしてコントロールして国民全体のために日本を方向付けてくれる、そんな政治家に、当方の渾身の一票を投じたいと思います。
それでは。
1 thought on “西村大臣発言に見る『木を見て森を見ず』の政治”
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