=自由主義の中でポピュリズムとどう付き合うか?=
こんにちは。柳原幸太郎です。
2022年5月2日付大和総研の以下論説の中にでてくる、「ポピュリズムX権威主義」に目がとまりました。
ウクライナ問題の背景にある「ポピュリズム×権威主義」の台頭 2022年05月02日 大和総研金融調査部 主席研究員 内野 逸勢 https://www.dir.co.jp/report/column/20220502_010851.html
ロシアによるウクライナ侵攻、その後の地球上の人類の間で起こっている様々な問題をみるにつけ、上記論説の指摘には深くうなずくものがあります。第二次大戦後80年、戦後体制と言われたものがすべて形が変わっていく、明らかに人類の歴史の転換点を迎えていることを感じざるを得ません。
特に、西側陣営に生まれ育った人間としては決して手放せない、民主主義、自由主義が脅威にさらされている状態は、このままではいけないという思いを強くさせます。
ただ、単純な「民主主義VS権威主義」という切り口ではもはや落としどころが無い状態におちいっているとも見えます。そんな困難に見える状況でも、自分時間、人類時間での感覚ではとらえられない、地球時間でのできごとと捉えると、永遠に続くものなど何も存在しない、ただその物質、生命として繰り返されれる変化に直面しているだけのようにも思えます。
5年後、10年後、20年後、50年後、、、、と人類は引き続き地球に存在していきます。自分が、自分の家族が、自分の会社が、日本が、米国が、中国が、プーチンが、何をどうしようとも、地球が惑星に衝突でもされない限り人間社会は形はどうあれ存在していくはずです。問題はその形、社会の在り方が、大きく変わっていく時代に間違いなく入っているように見えるということです。目の前の、民主主義VS権威主義とか、自由主義が好きだとかポピュリズムは危険だとか、そういう紋切型の切り口ではない、人間の社会の在り方としてのあらたな切り口が求められているように見えます。それがどんな形なのかは、まだ誰にもわかりません。ただ少なくとも、今の時代に生きている我々一人ひとりは、どういう社会がいいのかを考えて発言していくことはできます。自分にできることは何か、自分が生きている社会がどうなって欲しいのかは、例えそんじょそこらの馬の骨であっても、考えて、発言して、できることをしていきたいものです。
それでは。