こんにちは。柳原孝太郎です。
ロシアのウクライナ侵攻により大きく世界が変わろうとしています。後世の人々が2022年を振り返ったときに、世界史の大きな転換点としるされるであろう現実を、今われわれはまざまざと見せつけられているように思えます。
何かが大きく変わろうとしているのは誰しも感じるところですが、一般的に言われているのは、米国の相対的な権威の低下による西側民主主義陣営の地盤沈下と、権威主義の力で国力を増大させている中国の勢力拡大で世界が分断していく、というものです。
民主主義と権威主義の勢力争いについては、マイケルサンデルの白熱教室で日本・米国・中国の学生がデジタル空間を共有して議論する場があり、興味深く見ました。
マイケル・サンデルの白熱教室 「民主主義って時代遅れなの?」 https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/episode/te/LWX2WKR2M9/
我々民主主義側としては、中国の若者が何を言うのが興味があったのですが、民主主義の考え方については、大きな違いが見て取れます。番組を見て大変印象深かったことが3つあります。
ひとつは、改めて中国は国家としての教育が大変行き届いており、優秀で自由な発想をもつはずの中国の若者ですら、国家に、つまり中国共産党に洗脳されているとしか思えなかったことです。
もうひとつは逆に、中国の若者が自分の意見を語る姿が、あまりに自信に満ち溢れているため、ふとその発言を聞いてこれは洗脳されているとしか思えないと感じている自分自身を俯瞰してみた場合、もしかしたら、洗脳されているのは、自分の方なのではないか、という錯覚(錯覚ではなく本当に洗脳されているのかも)を覚えたことです。
そして三つ目として、結局どちらが洗脳されているのだろう、どちらが正しいのだろうと考えた場合、結局キーワードである「民主主義」の意味は、それを使う人によって全然違うものになっているということです。
中国が民主主義なのかについては、当方の様に首をかしげるのが、西側諸国の一般的な考え方と思いますが、中国が国家ぐるみで民主主義の定義を西側に独占させない、民主主義の考え方は多様であり、中国の体制こそが民主主義だ、と主張していることを以前のブログで書きました。
そこでも述べましたが、結局、ユヴァルノアハラリ氏が言うように、人は虚構をあやつり、あやつられる生き物ゆえ、中国のように国力を急激に増大させている国家が権威主義に基づいて国家ぐるみで虚構を駆使すると、白熱教室に出てくる中国人学生のように、心の底から共産党の言うことのみを信用するようになってしまうように思えます。ただ、中国から見ると、当方のように中国のやり方はとても民主的でないと言うこと自体が虚構だ、洗脳されている、ということなのかもしれません。
結局、人によって考えも変わる、信じるもの(=虚構)も違う、ということです。
ロシアのウクライナ侵攻により、力を持った権威主義は(ロシアの場合は中国の様な総合的な国力という意味ではなく、核兵器とエネルギー資源だけが力の源泉ですが)、やりたい放題にできてしまうという、結局100年前の世界情勢と何もかわらないことがわかったしまった今となっては、世界の仕組みが変更を求められている、今まで通りにはできないという非常に不透明、不安定な時代に入ったと言えます。
そんな中で、われわれ馬の骨の一般庶民は、どうすればよいのでしょうか?
何が正しいか、という議論も大事と思いますが、結局、白熱教室のように、議論をして相手の考えがある程度は理解できたとしても、納得できないものはできません。何を(=どんな虚構を)信じるのか、については、人それぞれです。これは、今も、100年後も、人間が生き物である限りは変わらない様に思えます。何が正しいと思うか、のベースとなりスタート地点となるのは、結局、「自分はどうしたいのか」という自律思考であるように思えます。
自律思考で考えた場合、民主主義とは何か、民主主義と権威主義はどちらが優れているのかについては、中国的な発想が入ってくると、結論を出すのは難しくなります。ただ、ひとつだけ、西側諸国の民主主義を信奉する当方が、自分はどうしたいのか、と聞かれて断言できるのは、自分は「自由主義」がいい、絶対に守りたい、ということです。
中国人がいくら自分の国は民主主義だといっても、それでは中国は自由主義なのか?と聞かれて、YESと答えられるでしょうか?思想の自由、言論活動の自由、政治活動の自由、など、中国の権威主義体制の下では許されない人権があります。それでもいいというのであれば、それはそのように洗脳されているのでどうしようもありません。それで幸せなのであれば、そのように人権を抑圧された国で自由を束縛される人生を送ればよいと思いますが、当方は、絶対にお断りです。
ロシアでは、ウクライナへの侵攻反対、と言うだけで、刑事罰を受けます。そんな基本的人権、言論の自由がない状態で生きていくのは、人として生まれてきた限り、絶対にごめんです。
民主主義か権威主義か、では中国共産党の虚構に踏み込まれる余地があるとすれば、今後は、自由主義か権威主義か、という議論をすべきと思われます。マイケルサンデル氏には、次回の白熱教室ではぜひ、中国の学生を呼んで、「自由主義」についてどう思うか、で議論をしてみてほしいです。
それでは。
1 thought on “民主主義VS権威主義から見える自由主義の意味”
Comments are closed.