=菅氏・橋下氏の応酬の裏でほくそ笑む自民党とマスコミ=
(36)目次 ・ 菅直人氏があえてヒトラーを持ち出した理由 ・ 維新が『政党とは関係ない』と自ら公言する橋下氏への攻撃に党として動いた意味 ・ 『ヒトラー』という単語がもつ具体的な意味 ・ 立憲・維新の応酬を横目にほくそ笑む人達 ・ 何か、別の仕組みが必要ではないか(By成田悠輔氏)
こんにちは。柳原孝太郎です。
ここ数日ネットをにぎわせている、菅直人氏・橋下徹氏の『ヒトラー』をめぐる応酬。彼らとその取り巻き、立憲・維新双方の幹部のやり取りを見ていて、改めて思ったことがあります。何か違和感があります、そう、『ヒトラー』という単語が一人歩きしているように見えます。
菅直人氏があえてヒトラーを持ち出した理由
菅直人氏はなぜ唐突にヒトラーの名前を出してきたのかについては、ひとえに参院選挙前に政敵を落とすことで自らの比較優位性を確保する以外に理由は見当たりません。自らのツイッターでも辻本清美氏の前回衆院選での落選は、維新を意識して選挙戦をしなかったからだ、なので次の参院選では維新とたたかうのだ、と公言しています。そこまで公言していながら、敢えて『ヒトラー』を持ち出すのは、橋下氏が反論するまでもなく、意図が見え見えで、立憲支持か維新支持かに関係なく、見ている人を不快にさせます。
敵を貶める為にヒトラーを持ち出すのはなぜでしょうか?それは『ヒトラー』という固有名詞がもつ世界共通のイメージがあります。それは言うまでもなく、ジェノサイド・ユダヤ人大量虐殺を実行した張本人であることです。人としての倫理観を持っているならば、到底受け入れられない人道上の悪行です。ですから、ヒトラーと聞いただけで、普通の倫理観を持った人間ならば、拒絶反応が起きる。
それは、宮台真司氏のいう『言葉の自動機械』的に、世界の人々に無意識に刷り込まれていると言えます。だから、先の東京オリンピックの際にも、大会演出スタッフの一人が過去自らが演じた漫才の一場面で『ヒトラー』を使ったことが明るみに出ると、あっという間にスタッフを外されたことにも表れています。それほど、『ヒトラー』は人類にとっては忘れてはならない特殊な意味をもつ固有名詞といえます。
菅直人氏がいくら政敵を追い落とすためとはいえ、あえて『ヒトラー』を持ち出したのは、政治家としては得策でないとしか見えない。
過去日本の首相を務めた政治家がこの程度、ということは、この程度の人でも時世を味方につければ首相になれる、ということ。日本の国民の民度がそういう民度であるということ。残念で仕方がありません。
維新が『政党とは無関係』と公言する橋下氏擁護に動いた意味
菅直人氏の『ヒトラー』発言は、ある意味失言にしか見えません。意図的にやっているとすれば、そういう能力の政治家であるということ。あるいは、そこまで個人として党として追い詰められて自暴自棄になっているということ。
一方の維新。敵の失言なのだから、放っておけば良いのに、維新は党として立憲民主党に抗議文を送ると言う行動にでました。
こうなると、どっちもどっち、ということになります。なぜか。橋下氏は、自分が党の創設者ではあるものの、現在は引退して政党としての維新とは関係のない私人であると公言しているのに、維新が党として橋下氏擁護に動いたら、マスコミ・ネットで言われている通りに橋下氏は私人を語りながら結局維新の広告塔となってマスコミに出まくって政治活動をしている、という批判を受け止めなくてはならなくなります。維新も橋下氏が政党の広告塔として活動していることを事実上認めることになります。それを認めてしまうと、橋下氏は今後、マスコミに出て政治コメンテーターとして発言するのが適切なのかという議論から逃げる論理構成が難しくなります。
改めて、ある意味もはや過去の人である菅直人氏の失言なんて放っておけばよいのに、むきになって受け止めて動いてしまった。なぜか。結局、宮台真司氏の言う『言葉の自動機械』によって、あまり意識せずに動いてしまったように見えます。『ヒトラー』という単語がもつ無意識の内に刷り込まれた嫌悪感を払拭するために、条件反射してしまった。やらなくてよいのに。
『ヒトラー』を言った菅直人氏・立憲側も、言われた橋下氏・維新側も、ヒトラーを言って良いか悪いか、政治の舞台で使ってよいか悪いか、使ったことがあるかないか、という議論をしています。中身のない、不毛な議論です。なぜこうなるかというと、やはり自動的に湧き上がる嫌悪感・拒否感が独り歩きして、具体的な中身は別にしたまた漠然とあいまいに行ったり来たり、投げ合っているからの様に見えます。
『ヒトラー』という単語がもつ具体的な意味
これら応酬の中で、『ヒトラー』という単語が包含する具体的に意味するところを基に、なぜ人を『ヒトラー』に例えてはいけないのか、が語られたところは見ていません。
『ヒトラー』という単語が意味するところ、普通の人が自動機械的に想起するのは、『人殺し』です。
他人を、ある人種に生まれたという理由だけで、他の死ぬべき理由が何もない無実の人を、大量に殺した。人をヒトラーに例えるということは、その人を『人殺し』と罵っているに等しいことです。
橋下氏であれ誰であれ、普通の人は、『人殺し』であると言われたら、たまったものではない。黙ってはいられない。黙っていてはいけない。
菅直人氏は人のことを、根拠もなく人殺しだ、とののしっているに過ぎない。もし、菅直人氏が人殺しなどと言っていない、弁舌の巧みさ、について言っているのだという詭弁を弄するとしても、それは菅直人氏が自ら政治的な自殺を図っているだけ、自らの政治生命を絶とうとしているだけの話なので、放っておけばよい。
それが、普通の人が、普通の他人を、ヒトラーなり、麻原彰晃なりに例えて攻撃してはならない理由なのだと思います。
今回のケースでは、菅直人氏のツイッターに対しては、言われた私人である橋下氏が菅直人氏に対して、自分は人殺しであるヒトラーと同じカテゴリーの人であるかの様に言われる筋合いはない、ヒトラーを持ち出した理由を示せ、できないなら名誉棄損だ、という反論をなせばよいだけの様に見えます。
蓮舫氏が過去に橋下氏が『ヒトラー』を使って当時の民主党政権を攻撃したとしてこちらも応酬がありました。こちらはこちらで同様に、ヒトラーを持ち出す理由がありません。今回の菅直人氏同様、過去の橋下徹氏も、敵のイメージを貶めるために、ヒトラーという単語を使った、禁じ手に手を染めたということだと思います。恐らく橋下氏も過去の自分の発言を記憶していたために、菅直人氏の最初のつぶやきに対してはいたって冷静に、弁舌の巧みさという部分に焦点を当てて反論をしていたように見えます。
当方も橋下氏の支持者でもなんでもありませんから彼を一方的に支持するつもりは毛頭ありません。当時橋下氏にヒトラーを持ち出して攻撃された民主党政権は、人殺しであるヒトラーを持ち出される理由はないと問いただして反論すればよかったのだと思います。
立憲・維新の応酬を横目にほくそ笑む人達
今回の応酬を俯瞰してみると、当事者である菅直人氏と立憲関係者・橋下徹氏と維新関係者の外側で、ほくそ笑んでいる人達が見えてきます。そう、自民党。また、自民党を含む政治舞台を外側から見ている、マスコミ。
昨年10月の衆議院選挙の結果から、しばらく政権交代が起きることは期待できません。今年の参議院選挙は将来の政権交代に向けた動き、そのための布石がどの程度打てるのかという関心があったのですが、残念ながら、今回の『ヒトラー』が独り歩きする野党間の不毛な応酬を見ている限り、自民党とそれが守る利権集団がしめしめ、とほくそ笑んでいる姿しか見えてこず、暗澹たる気持ちになります。
また、マスコミは相変わらず、政治舞台で繰り広げられる不毛な議論を表面的に面白おかしく取り上げることに必死です。独り歩きする『ヒトラー』という単語を駆使して言葉の自動機械を煽りに煽って、立憲と維新の対決を仕向けて行きます。そうすることで野次馬があつまり、マスコミは更に儲かる。
損得マシーンとしての本領発揮です。
何か、別の仕組みが必要ではないか(By成田悠輔氏)
そんな自分も、損得マシンのマスコミ、ネットニュースの活動を支持するかの如く、そんな不毛な政治舞台でのやり取りをメディアを通じて眺めています。それでも、利権を守ることしか関心が無い官僚組織を変革できるような自民党政権に代わる受け皿ができて来る動きが見えれば、少しは気持ちも晴れてくるのですが、一向にそんな気配はないどころか、現在の野党のつぶし合いを見ている限り、自民党と官僚の支配が益々盤石になっていくように見えます。
そんな中で最近注目しているのが、成田悠輔氏。昨年から急速にネットでの知名度を上げて発言が増えています。かなりの変人(いい意味で)に見えますが、真の変人なのか、変人を装って何か仕組みを作って日本を動かす原動力になっていくのかは、まだわかりまん。
ただ一つだけ当方注目しているのは、その変人とも思える言動のベースにある、他の人にはない視点です。普通の人が社会を俯瞰して見ようと必死に上空に舞い上がる、その更に何層も上空に舞い上がって社会を世界を俯瞰して見ているようなコメントが聞こえることです。
自らの専門であるデータ分析・テクノロジーを極めて行った先にある社会の在り方として彼が言っていたもののひとつとして、現在の民主主義国家のベースにある選挙・政治の仕組みをテクノロジーで変える、というものがあります。
日本・アメリカ含む世界の民主主義国家では、選挙制度・政治体制が抱える問題は大きく(中国がせせら笑っているのが見えます)、その解決策の一つとして成田氏は、人が自分の意識で選挙権を行使する政治体制に変わり、AIが検知する人間の深層心理からその人が無意識にもつその人独自の希望・望むものをデータで蓄積・分析して、所属する社会構築に反映していく、というやり方を唱えます。
自分が生きている間に実現するとは思えないような荒唐無稽の話に聞こえますが、日本・アメリカを含む世界でどんどん行き詰まって行くとしか思えない政治情勢・社会情勢を考えると、現在の民主主義の延長線上にはない、根本的に社会や人の生き方を変える仕組みの構築を期待させるものです。
人として生まれて自分の意思を持っているのにそれで良いのか、という問題は当然ありますが、現在のテクノロジーの進歩は、それで良いのか悪いのか、の議論を置き去りにして進んでいるように思えます。そんな荒唐無稽な話を無視できないほど、地球上で人が作り上げた社会体制は何か根本的に変えないとまずいのではないかと思わずにはいられません。
そんなことを、今回の『ヒトラー』の独り歩きによる野党同士のウ○コの投げ合いつぶし合いと、それを嬉々として報じるマスコミ報道を見ながら、考えているのでした。
それでは。