=損得勘定する自分を俯瞰して損得外を把握する=
(32)目次 ・ 『なぜ中国に強気を貫けるのか』の背後に横たわる大前提 ・ 認めたくない現実でも損得勘定に没頭するとマヒする ・ マヒすると損得外が無くなり損得マシーンになる ・ ありたい姿が変容したのに気づくか ・ 損得勘定する自分を俯瞰して損得外を把握する
こんにちは。柳原孝太郎です。
中国テニス選手・彭帥氏の問題に関心を持ってネットを見ていますが、文春オンラインの以下記事のタイトル『なぜ中国に強気を貫けたのか』がふと気になりました。
週刊文春オンライン 〈中国での大会中止〉テニス選手・彭帥失踪問題 協会はなぜ中国に強気を貫けたのか 近藤 奈香2021/12/02 source : 週刊文春 2021年12月2日号 https://bunshun.jp/articles/-/50438
なぜ気になったのだろうと俯瞰して考えてみたところ、人が無意識にある虚構/ストーリーを思い込む、マインドコントロールされる恐ろしいシナリオが見えてきました。
『なぜ中国に強気を貫けるのか』の背後に横たわる大前提
掲題文春記事は、彭帥氏の問題でIOCが北京オリンピック開催のために人権を蹂躙する中国政府に善悪問わずに協力するのと対照的に、人権問題に対して妥協を許さないWTAが将来の中国大会での巨額の利益を棒に振ってでも強気を貫く理由について考察するものです。
記事の内容自体になんら違和感はないのですが、なぜか記事のタイトルにある「なぜ中国に強気を貫けたのか」という表記がひっかかりました。
なぜ引っ掛かったのかを俯瞰して考えてみたところ、「なぜ強気になれたのか」、を裏返すと普通は強気にはなれないのに、つまり、「強い中国に対して歯向かうことは普通はしないのに」、という意識が大前提にある様に見えたことが原因でした。
「強い中国に対して普通は歯向かわない」は、現在の世界情勢では良く見る意識に見えます。もちろん、良い悪いは別の話で、欧米や日豪の様な自由主義を標榜する民主主義国家は、人権は後回しの共産党専制独裁体制の中国が世界で影響力を強めることに対しては強い警戒感と対抗意識が持たれています。ただ、アジアやアフリカの新興国では中国の経済力を頼りに中国的な専制独裁体制を目指す国も益々増加する勢いと言えます。
そんな世界情勢を背景として、「強い中国に対して歯向かわなくてもおかしくない」が、日本のメディアを含めて無意識の内に大前提となっている様に見えます。
認めたくない現実でも損得勘定に没頭するとマヒする
自由主義・民主主義を標榜する西側諸国でも、今の時代は中国との経済的関係はもはや切っても切れない程深く巻き込まれていると言えます。そんな中では、今回の彭帥氏の問題でも、WTAの様に人権問題では妥協を許さない態度を貫く組織もあれば、ITF/ATPの様に経済的な損得勘定を優先させて中国には歯向かわない、つまり彭帥氏の人権問題には目をつぶる組織も出てきます。
現在は、WTAの損得外の毅然とした行動に称賛が集まる一方で、それとは一線を画して粛々と中国についていく組織・集団が存在する現実を、認めたくはないものの現実として認識されていきます。そうして何事もなかったかのように時間が経過していくと、WTAの様な集団も年がら年中声を上げ続けることは困難なため、社会もだんだんマヒして、ありたい姿では無いITF/ATPの行動が国際社会の中での標準になって行くように見えます。
マヒすると損得外が無くなり損得マシーンになる
WTAや他の人権重視の国・組織が声を上げて行動し続けることで、中国の行動が変わってゆけば良いのですが、おそらく盤石の中国共産党は行動を変えることはありません。
そうして時間がたつと、やはり中国の強大な経済力に負けて、正に生きて行くための損得勘定から中国にフォローしていく集団が大勢を占めるということになりかねません。そうなるともはや、誰も損得外の良し悪しには全く関心が無くなります。世界中で中国の経済力にぶら下がる損得マシーンしか存在しなくなってしまいます。
ありたい姿が変容したのに気づくか
そこまで来た時、現在のWTAが示している中国に歯向かって損をしてでも人権問題には妥協を許さない毅然とした態度を、人々はどのように思い出すのでしょうか?恐ろしいのは、もはやマヒした人々の頭の中にあるストーリー/虚構は、中国システムを標準とするものに作り替えられてしまっていることです。
人権問題には妥協せずに損得外で行動するありたい姿は、過去の忘却の彼方に置いてきぼりになり、代わりに中国システムをフォローする損得マシーンをありたい姿と思うストーリーが人々の頭の中に充満しているかもしれません。
損得勘定する自分の周りの『損得外』を俯瞰して把握する
以上のような恐ろしいシナリオが現実味を帯びている様に思えてなりません。中国共産党の為に中国国民の人権を蹂躙するやり方を認めないとするのは自由主義・民主主義の体制で生きている人々にはごく当たり前の意識・ストーリーに思えますが、一方で、誰しも損得勘定を抜きには生きて行けないのが現在の人間社会であることも事実です。人の人権を考える前に、自分が経済的に自立して生きて行くことをまず考えたとしても、誰もその人を責めることはできません。
ただ、人として生まれてきたからには、損得勘定では測れない、人としての良し悪しは誰も無視しては生きて行きたくはありません。自分が生きて行く上での損得勘定をしながらも、人としての倫理観を前提にした損得外での良し悪しは常に感じて自らの行動基準にしたいものです。損得外を忘れたとたん、宮台真司氏の言うク○社会で損得勘定しかしない損得マシーンのク○人間になってしまいます。
せっかく人として生まれて来たからには、損得勘定をする自分をしっかり俯瞰して、自分の周りにある損得外の良し悪しをしっかり意識しならが、自律思考で何が良いのかを自分で考えて判断しながら自分の人生を歩いていきたいものです。
それでは。