=(12)書き換えが必要な『自由主義』というストーリー=
<目次> ★★★★★★★★★★★★★★★★★ ・『自由』が人を不幸にする ・『自由』が人を貧しくする ・『自由』が人を殺す ・『自由』が国民を見捨てる ・中国に野蛮だと言われない為に ★★★★★★★★★★★★★★★★★
こんにちは。柳原孝太郎です。
最近のニュースを見ていると、「行き過ぎた資本主義」、「民主主義の限界」等、自由主義陣営の方針修正を叫ぶキーワードードが飛び交っています。
東京新聞 東京WEB
<社説>コロナの時代に考える 民主主義は生き残るか 2021年4月29日 07時25分 https://www.tokyo-np.co.jp/article/101148
東洋経済ONLINE もはや民主主義国が少数派に転落した世界の現実 実は迷走、危機に瀕する「アメリカの民主主義」 薬師寺 克行 : 東洋大学教授 2021/06/30 7:30 https://toyokeizai.net/articles/-/437423
ヤフーニュース アメリカで進む「民主主義の破壊」を喜ぶ中国 「憎悪などの政治的ウイルスが全米に蔓延」と指摘 7/9(金) 8:00 https://news.yahoo.co.jp/articles/a582a02fa5cb5c7d1b6c18821e7f9c3642eb058a
産業・ビジネス 産経WEST 限界見えた資本主義 「人新世」の斎藤幸平氏に聞く 2021/6/16 08:00 粂 博之 https://www.sankei.com/article/20210616-AA2PQMLFM5J25ONZXDWQZ73CYQ/
1991年にソヴィエト連邦が崩壊、唯一となった超大国・米国の自由主義・民主主義がいずれ世界全体に伝播していく様に思われましたが、現実の世界はその様には動きませんでした。
その後、共産党独裁政権が市場経済を国家体制に組み込んだ中国は、社会主義市場経済という独自の経済体制を構築して一気に経済力をつけ、軍事力をも増強し、唯一の超大国として世界一の国力を誇っていた米国を経済面・軍事面で急速に追い上げています。ただ、中国は市場経済を取り入れて経済面では世界経済に欠かせない存在として組み込まれているものの、依然として共産党独裁は続いており民主主義・自由主義を禁止する国家体制です。
本来は自由主義陣営の旗頭である欧米や日本は、新疆ウィグル自治区・香港などで人権を蹂躙する中国の専制独裁体制の修正を求めて一致団結・一枚岩で対峙していくべきところ、残念ながら至る所で民主主義・自由主義の綻びとも言える様々な社会問題が噴出して、民主主義陣営の力強さが益々減退しています。世界的に見ても、新興国を中心に中国に倣う専制独裁体制を目指す国家が世界の主流を占めつつあると言われています。世界での覇権を目指す中国がこれら新興国を経済力で支配して見方に引き入れ、自国の専制独裁体制の正当性を世界に浸透させるために民主主義・自由主義の弱点を攻撃するという展開になっています。我々自由主義陣営は、今後の世界をリードする自由主義・民主主義の『新たなストーリー』を示す必要に迫られていると言えます。
『自由』が人を不幸にする
馬の骨の当方はやはり自由が好きです。ですからメディアで報じられる中国の人権軽視・無視の専制独裁体制の言行が自由主義陣営に悪影響を及ぼすのは排除したいと考える一人ですが、ただ。
そんな馬の骨でも眉をしかめたくなるような『自由』がもたらす人の不幸が展開される民主主義国家の現状をネットで見る機会がとても増えています。例えば、
・経済活動の『自由』が格差を拡大し『自由』が人を貧しくする世界
・銃を持つ『自由』が人を殺すアメリカ
・感染拡大の中『自由』を制限する有事法制をとらず飲食店を見捨てる日本
・経営の『自由』で感染症患者を拒否する病院経営者が国民を見捨てる日本
こんな、『自由』が人を不幸にしている姿を見てみます。
『自由』が人を貧しくする
共産党が一党独裁政権を敷いている中国も含めて、現在は世界の至るところで経済活動の『自由』によって、能力のある人は自分の才覚でビジネスを成功させれば一攫千金が可能な世界になりました。成功したものが強者となり、強者が手に入れた資本力で勝ち続けて更に強くなり、弱者との格差がどんどん拡大している二極構造が世界的な問題になっています。一度負けて弱者になると、『自由』競争の世界では、弱者は競争しようと思っても常に強者との競争に晒され、結果、弱者は弱者で居続ける、強者は勝ち続けるので益々強さを増す、その結果格差は益々拡大していく、という悪循環です。あきらかに行き過ぎとも思えるこのような格差社会では、弱者は現実逃避し別世界を夢見る虚構に染まっていく中で、トランプ氏の様な陰謀論的な虚構扇動者が現れると、弱者の虚構を集結して見方につけて力を得て、それを私的目的の為に利用して大規模に行動していくという社会不安要因が拡大してしまいます。
『自由』が人を殺す
米国では銃乱射事件が後を絶ちません。ある日近所のスーパーに買い物に行ったらそこで自暴自棄の虚構に取りつかれた輩が起こす銃乱射事件に巻き込まれる、という日本では身の回りで起こることが想像のできないできごとが日常的に発生するさまを見せつけられています。自暴自棄の虚構に取りつかれた輩の無差別殺人は日本でも深刻な社会問題になっていますが、銃の保有が禁止されている日本では、銃による無差別乱射という事態は今のところ起きていません。銃が関与するのは暴力団など反社会的勢力が引き起こす組織的な犯罪が多く、一般の事件での凶器は包丁・トンカチなど日用生活用品が使われるのがほとんどです。
包丁・トンカチなどは元々人を殺すための道具ではありません。使い方で人の役にも立つものの、使い方を誤ると人に危害を加える道具に豹変します。一方、『銃』は、ただ一つの目的、人(や他の生物)に危害を加えるという目的の為にだけ存在する武器です。
米国ではその銃を民間人が持つことが許されています。人を殺す道具を誰でも持って良い、自衛の権利で武器をもつ、人を殺す銃を持つ権利、という意味が当方は良く理解ができませんでしたが、米国固有の独立の歴史から、アメリカ合衆国の存立基盤にもなっている理念に根差す、米国特有の権利・自由の象徴なのだそうです。
PHPオンライン衆知 2020年02月27日 公開 「人を殺すのは人であって銃ではない」 アメリカで銃規制が進まない4つの理由 https://shuchi.php.co.jp/article/7371
朝日新聞デジタル連載社説記事 (社説)米国の銃問題 命を守る政治はどこに 2021年6月4日 5時00分 https://www.asahi.com/articles/DA3S14927580.html
米国社会は、自衛の為に銃を持ちたい人が誰でも簡単な手続きで銃を持てる『自由』がある一方、自分の虚構の実現の為に他人を殺めたいと思う人が自宅で手を伸ばせばそこに銃がある、という恐ろしい世界です。
こういうアメリカ社会をBEVしてみると、見えて来たものがありました。それは、なんのことはない、弱肉強食の『野生』の動物の世界とまるで一緒ということです。寝ている時にいつ何時ライオンに襲い掛かられて食べられてしまうかもしれない鹿が常に警戒しながら生きているのと同様、いつ何時虚構にとりつかれた輩の目に留まって手に持った銃の引き金を引かれるかもしれないとびくびくして人が生きている世界です。
こんな米国社会を見ながら、中国人がせせら笑う声が聞こえてきます。中国であれば、銃など持っていたら直ぐに監視カメラに補足されて公安警察が出てきて逮捕、下手するとろくな裁判もなく禁固刑にされるかもしれません。
こんな米国と中国、読者各位はどちらが良いでしょうか?
ちなみに当方は、日本が良いです。
『自由』が国民を見捨てる
日本でも最近は『自由』が人を不幸にしている状況が見て取れます。世界的な新型コロナウィルス感染症の拡大という100年に一度の有事に直面し、日本固有の「有事法制の無い」法体系が認める国民の『自由権』が、結果的に一部の国民を見捨てる結果を招いていると思えるのです。
このような状況を招いている原因のひとつ、有事法制への拒否感については、第二次世界大戦の苦い経験から人権に対する公権力の介入を禁止し国民の私権を重視する、日本の戦後というストーリーが根底にあると言われています。それともうひとつは、財務省なのではと。財政規律重視に固執する財務省は、100年に一度の世界的な感染症拡大というパンデミック危機を迎えているにも関わらず、国民の為の財政投入には後ろ向きな全く理解のしがたい姿がここでも見えてきてしまうのです。有事法制が無く私権の制限ができない現在の日本の国家体制は、それを財務省が感染症対策において財政投入を拒む理由に利用されているとしか思えない状況なのです。
こんな状況で不幸にされているのはまず、コロナ下で経営難にあえぐ飲食店経営者があげられます。営業停止期間中の経営保障・財政投入とのパッケージでの営業禁止命令が法的に打てないため、現在の緊急事態宣言中の感染症対策としては保障無しでの飲食店の営業自粛(時短・酒類提供禁止)要請、という非常に中途半端なものになっています。感染症拡大が始まってから1年半経過しておりその間に有事法制を準備することはやろうとする意志があればできたはずですが、残念ながら政権が本気で取り組もうとした形跡はありません。その結果、長引く緊急事態宣言・まん延防止等重点措置の下で、私権を重視すると言う政府が、私権を制限する有事法制の体系を作らないが為に、保障無しで飲食店の営業の自由という『私権』を制限するという、異常事態を招いています。政府は国民の私権を理由に飲食店の私権を蹂躙するという、支離滅裂なことをしている状態に見えます。
もうひとつは、一向に進まないコロナ病床確保の問題。新型コロナ感染症拡大が始まってから一年半、当初よりは改善しているとは言え、「さざ波」レベルの感染者数の日本が未だに感染拡大した際の病床確保に重大な不安を抱える状況は根本的な解決はなされていません。原因のひとつは、『経済活動の自由』が認められた日本で、自分の病院では新型コロナ患者は診ないという自由を謳歌する、『先生』と呼ばれる民間病院経営者たちの姿にありそうです。
またもう一つの原因は、ここでも財務省。有事法制の無いことを理由に、財務省が強制的な新型コロナ感染症病床確保をする場合の民間病院への経営支援のための財政投入に踏み込まない姿がちらつきます。
日本は自由主義の国で良かったと思っている馬の骨ですが、大変残念ながら、現在の100年に一度のパンデミックという有事に際して見えて来る日本は、『自由』を理由に結局自分の目先の利害の為に一部国民を不幸におとしいれてもほうかむりをして知らぬ存ぜぬを貫き、何もせずに眺めている『野蛮』な日本社会の姿なのです。
中国に野蛮だと言われない為に
人を不幸にする側面が噴出してきた『自由主義』ですが、これらをBEVして眺めてみると、自由を放置するとそこは『野蛮』とも言える無法地帯の状態を引き起こすリスクがあることが見て取れます。自分たちが生まれた社会が野蛮と言われる状態ではたまりません。そもそも自由はもっと楽しくて前向きなイメージであるはずのものです。野蛮にはならない、本来の自由を謳歌できるストーリーに書き換えが必要なのではと思えます。
ひとつ気になるのは、やはり中国です。自由主義陣営に対峙する自らの専制独裁体制を世界に伝播させるために民主主義・自由主義の綻びを攻撃してきます。中国にいつも見られている、ということを忘れずに、人民の自律思考・自律行動を禁止する中国共産党の専制独裁体制に負けないような、そんな自由主義・民主主義の新たなストーリーを描ける社会に、国家に、世界になって行って欲しいと願っています。
それでは。
2 thoughts on “『自由』という名の『野蛮』”
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