=(9)『医療屋』に命を預ける日本人=
<目次> ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ・『お役人さんは偉い』と国民が思う理由 ・『人の上に立つ人』という虚構 ・金もうけの手段としての『医療屋』 ・『先生』と呼ばれる人の『誇りと自覚』 ・優秀な頭脳が『人の上に立つ人』を目指すために ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
こんにちは。柳原孝太郎です。
経産省のキャリア官僚による新型コロナウイルス「家賃支援給付金」の詐取については当方ブログ(6)でも触れました。
テレビでその関連報道を見ていた時のことなのですが、街角インタビューで事件についてどう思うか聞かれたある初老の男性が、
「人の上に立つ人が、そんなことをしてはダメです」
と言っているのを聞いて、んっ、と引っ掛かりました。
人の上に立つ人?経産省のキャリアが?
ふと、そう思ったのですが、確かに言われてみると、「お役人さんは人の上に立つ人」、あるいは「お役人さんは偉い」、そういうイメージは当方にとっても違和感のあるものではありません。
ただ最近当方は、上記のブログ記事(6)でも書いた『国民全体の奉仕者』のことをずっと考えていたので、『奉仕者』と『人の上に立つ人』というイメージのギャップが消化不良を起こして引っ掛かったのだと思います。
普通、前出の初老の男性と同様、お役人さんは人の上に立つ人に見えるということはあると思います。逆に言うと、お役人さんたち自身は、自分たちが人の上に立っている、国民の上位に位置する偉い身分の人であるという考え、ある種の虚構に捕らわれても不思議ではありません。憲法他法令で定められている『国民全体の奉仕者』であるという『誇りと自覚』を忘れた『偉い人達』が、表面的な『人の上に立つ人』あるいは『お役人さんは偉い』というイメージだけに執着して行動することが、国民がぬぐい切れない不信を覚える事態を相次いで発生させています。
『お役人さんは偉い』と国民が思う理由
『人の上に立つ人』というのは、わかりやすいところでは民間企業での上司というのが一般的なイメージと思います。なぜ上司・管理職は偉いと見られるのかというと、部下にはない能力と権限を持っているからと言えます。部下は会社で自分のストーリーを実現したいと思っても、上司の許可が無ければ自分のストーリーは実行できません。自分がやること、やってはいけないことを決める権限を上司が持っているので、上司を偉いと感じるということです。あるいは、自分が未熟で実行不可能なことでも、経験豊富な上司であれば実行可能なことがあります。自分ができないことをできる人だから、偉いと感じるのです。
民間ではなく、公的機関、国や地方自治体での公務員という立場も、同様に国民には無い権限と能力を持つ立場である為に、国民はお役人さんを偉い、と感じるようになっていると言えます。
『人の上に立つ人』という虚構
『自分が人の上に立っている』あるいは『自分は偉い』というイメージは、BEVしてみると、非常にマインドコントロールに陥りやすいストーリーである様に見えます。自分の道を見極めて本来あるべきストーリーを進んで行ける人と、マインドコントロールに落ち込んで社会と国民に迷惑をかける脇道に迷い組む人の分かれ道、分岐点があるのが見て取れます。その分岐点とは、『自分が人の上に立っている』あるいは『自分は偉い』と他の人が思うストーリーの『目的』を意識できるか否か、では無いかと思えるのです。
『自分は人の上に立っている』あるいは『自分は偉い』と他の人に思われる理由は、その人が他の人は持っていない特殊な能力と権限を持っているからだ、というのは前述した通りです。国家公務員の場合は、その能力と権限は『国民全体の奉仕者』として使うという『目的』が前提になっています。その前提で、国家公務員試験を受けてその能力を保有しているか確認され、合格した者に国家公務員としての権限が与えられる、ということです。国家が国家公務員に権限を与える理由は、その能力を『国民全体の奉仕者』として使うという『目的』の為です。
ただ、前出の家賃給付金詐取の経産省キャリアの思考と行動を見ると、能力を持った自分たちが権限を与えられた『目的』を完全に忘れてしまっているのが見て取れます。自分たちの能力と与えられた権限は『国民全体の奉仕者』として使うという目的を無視し、その能力と権限を自身の私的利害の為に悪用しています。
もしかすると最初から本来の国家公務員としての目的などは一顧だにするつもりは無かったのかもしれません、いずれにせよ本来の目的は無視して、私的利益の為に悪事をなす悪意に満ちたストーリー/虚構になっているのがわかります。
一方、政治家、医者、弁護士など、世の中には『先生』と呼ばれる人達がいます。彼らも国家公務員と同じ様に、他の人には無い特別な高い能力と権限を持った人達として、『人の上に立つ人』あるいは『偉い人』と思われています。
そんな高い能力と権限を持った先生方の中にも、自分が『先生』と呼ばれる理由と目的を忘れているのではないか、と思われるようなことが多発しています。
金もうけの手段としての『医療屋』
新型コロナウィルスで日本が海外に比べて『さざ波』レベルの感染者数であるにも関わらず病床がひっ迫して医療崩壊の危機に陥る原因は、日本の医者の8割を占める開業医・民間医療機関が新型コロナ患者の受け入れを拒否しているからだ、という指摘があります。
日本は自由主義・民主主義なので、医者が民間医療機関を経営することは自由です。民間経営なので、それはビジネスです。ビジネスであるからには、自分の利害の為に、やること・やらないことを決めて動いて良いことになっています。ですから、民間医療機関がコロナ患者を受け入れなくても、日本の社会の仕組みでは現状では政府も地方自治体も口が出せない仕組み、ストーリーです。
ただ、いくら自由だからといっても、国民からは『先生』と思われているお医者様です、先生と呼ばれるだけの見識と行動は当然求められます。
日本医師会の中川会長。新型コロナ感染拡大の後、医療界を代表して国民全体の為に発言をしてくれていると当方は思っていました、ところが。感染防止のための行動制限、飲食店の営業停止を声高に叫ぶ一方、自ら主宰する政治家パーティーを大規模に実施するという、信じがたい行動が起きました。
PRESIDENT Online 2021/07/01 11:00 「国民の命より開業医が大事」まともな医者ほど距離を置く日本医師会はもう要らない これでは誰も医者を信じられない https://president.jp/articles/-/47490
デイリー新潮 「開業医に治療を拒否できないように」 日本一コロナ患者を診た「町医者」が語る日本医師会の問題 週刊新潮 2021年6月17日号掲載 https://www.dailyshincho.jp/article/2021/06170556/?all=1&page=1
このような人達を、国民は『先生』と呼んで、『人の上に立つ人』として尊敬できるでしょうか。馬の骨の目に映るのは、『医者の先生』と呼ばれるには程遠い、医療行為を金もうけの手段と捉える集団、国民・困っている患者が存在する森全体は見ずに、自分の目の前の木である自分の利害だけに執着して行動する『医療屋』の姿です。政治家であるにも関わらずその地位を悪用して自分の利害を優先して行動する人を『政治屋』と言うのと同様、医者の地位を利用して自分の利害を最優先に行動する人達が、馬の骨には『医療屋』に見えてしまうのです。
『先生』と呼ばれる人の『誇りと自覚』
こんな『人の上に立つ人』のストーリーは、国民が信用できる形に書き換えることはできるでしょうか。
上記デイリー新潮の記事に登場する兵庫県尼崎市の長尾クリニックの長尾和宏院長。民間医療機関の経営者ですが、身を削って新型コロナ患者の対応をしています。そこには明らかに、長尾院長の、人の命を預かる医者としての、人の上に立つ人として『先生』と呼ばれる『誇りと自覚』があるのがわかります。
医療行為をビジネスとして利用し医者の地位を国民の上に立つ権力者と捉えて権力を振るうことに目がくらむ医療屋は、患者を診るときにはおそらく、「診てあげる」という上から目線の対応なのではないでしょうか。「診てあげる」という上から目線のストーリーには、自分の利害に反するものは「診てあげない」という発想があるので、新型コロナには近寄らない方が得だから、新型コロナ患者は「診てあげない」という行動なのでしょう。
それに対し、長尾院長の様な真の医者としてのストーリーでは、新型コロナ患者が目の前に現れた時、上から目線で「診てあげる」か「診てあげないか」を考えるのではなく、『患者を診るのが自分の使命』という『自覚』から行動しているが明らかに見て取れます。
医者としての『人の上に立つ人』のストーリーは、普通の人よりも優秀で高い能力とやる気を持っているが故に医者という職業に就くことができた『誇り』を持ち、『患者を助けるのが医者の使命』であることを『自覚』して行動する、そういうストーリーではないでしょうか。
優秀な頭脳が『人の上に立つ人』を目指すために
『先生』と呼ばれるような高い能力と権限を持つ仕事をしている人達のストーリーについて書いていますが、一方でそもそも、最近は国家公務員になろうという若者が減少しているという問題が報道されています。残業時間の多さ等働き方改革を進めないと若者が希望してこないという問題が指摘されている一方、国の重要政策策定に携われるという高い志の実現が困難な古い体質が残っており、そもそも組織としての魅力が減退しているという問題もある模様です。国家公務員としての誇りと自覚を持って国民全体の奉仕者としてのストーリーを実現しようとする高い能力を持った人達が、そのストーリーを追いかけるのを断念せざるを得ない環境になってきている様なのです。
朝日新聞デジタル 霞が関、崩壊への危機感 職場を愛した元官僚が語る現実 2021年1月29日 https://www.asahi.com/articles/ASP1T2PDQP1PULFA01D.html?iref=pc_rellink_02
国家公務員の地位を悪用して個人の利害を追求する人はそもそもすぐに国家公務員は辞めて欲しいですが、一方で純粋に国家公務員としての誇りと自覚を持って国民全体の奉仕者としてのストーリーを実現したいと思っている人が、組織でそれが実現できないのであれば、その組織にいる意味がありません。どんどん優秀な頭脳が減っていく一方で、これでは組織は崩壊に向かうしかありません。
そういう誇りと自覚を持った優秀な頭脳の流出を防ぐには、働き方改革をするのは当然として、それらの優秀な頭脳が国民全体の奉仕者としてのストーリーを追いかける為に自律思考・自律行動して自分の能力を思う存分に生かせる組織体制を取り戻すことが肝要に見えます。
前出朝日新聞デジタルの記事の中途退職された元厚労省の方のコメントによると、内閣人事局による人事介入とか、政治家に振り回される状況など、自らで対策を打てることばかりでは無いので、やはり辞めるという選択をする優秀な頭脳が無くならないとのこと。辞めるというのもひとつの選択ですが、考えようによっては、辞めるくらいなら、元々優秀な頭脳の集団なのですから、何でもできるはずです。政治家がやることだと最初からあきらめずに、官僚組織にいる官僚自らが、自分たちのありたいストーリーを書くこともできるのではないでしょうか。
ただそもそもは、国の仕組み、国家公務員の仕組みを作るのは政治家・国会議員です。志のある有力政治家が官僚の在り方を法律含めて変えていくのが、本来の王道のストーリーの書き換えであり、もちろん政治家に期待するのが本筋ではあります。
馬の骨としては、外から常識外れの言いたいことを言うだけしかできることが無いのですが、せっかくの日本の宝である優秀な頭脳の集団です、国家として無駄にしているような気がして、本当に残念でならないのです。
河野行政改革担当大臣。ワクチン担当など色々兼務されてメディアでの発言も多いですが、国家公務員制度担当大臣でもあり、国家公務員志望者の減少を踏まえて国家公務員制度改革についての発言もされており、これからも注目していきます。一方で、ストーリーは、人は脳を持っていれば誰でもいつでも考えて書き換えるのは自由です。若手の国家公務員で志がある人が自ら、国家公務員制度のストーリーを書き換えて河野大臣に話をすれば聞く耳を持ってくれるのではないでしょうか。河野大臣もそれが仕事ですし、今後の自分の政治家としてのストーリーを書き進めている中で自分の為にもなるのでWIN-WINのストーリーになる様に見えます。
馬の骨としては、何かストーリーの書き換えが動きださないものかと、楽しみにしています。
それでは。
2 thoughts on “『先生』と呼ばれる人の『誇りと自覚』”
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