=(5)新たなストーリーとしてのMMT(現代貨幣理論)=
<目次> ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ・ネットで田原総一郎さんを追っていて辿り着いたMMT ・お金という虚構、貨幣の意味、新たなストーリーとしてのMMT ・衝撃の後の違和感、なぜ世間では盛り上がらないのか ・財政規律重視というストーリーに固執する財務省 ・『国民全体の奉仕者』というストーリー ・馬の骨でもできること、投票する! ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
こんにちは。柳原孝太郎です。
ネットで田原総一郎さんを追っていて辿り着いたMMT
いつもの様にネットでニュースを見ていたとき、田原総一郎さんの記事を見つけました。本の広告をしているもので、藤井聡さんと共著で『こうすれば絶対よくなる日本経済』を発刊したとのこと。
田原さんについてはやはり『朝まで生テレビ』、ご存じの方も多いと思います。放送開始の1987年当時、当方はまだ大学生で社会のことなどまったくわからない子供でしたが、日本のこと、世界のことを本音で語るパネラー同士が、掴みかからんばかりの言論バトルを繰り広げるのを見るのが病みつきになり、以来現在に至るまで毎月最終金曜日をいつも楽しみにしています。
その田原さんが、藤井聡さんと前出の本を共著し、ユーチューブで対談もしています。
『MMT(Modern Monetary Theory)』、あるいは『現代貨幣理論』が主題なのですが、経済素人の馬の骨の当方にとっても目からうろこでとても面白く、その後ネットや図書館で『MMT』で検索して出てくる情報をざざざっと読んでみました。
お金という虚構、貨幣の意味、新たなストーリーとしてのMMT
当方が信奉するユヴァル・ノア・ハラリ氏も『サピエンス全史』の中で『虚構』の代表選手として『貨幣』を挙げています(以下『(2)人の世は、すべて虚構』参照)。ただの紙切れにすぎない紙幣に価値があると信じ、大規模に協力して行動して経済を成立させているのが貨幣、というストーリーです。
ただ、所詮、ストーリーですので、書き換えてもかまいません。複数あってよいのです。複数ある中で、社会が全体としてどのストーリーを信じて、大規模に協力して行動するのか、という話です。
そういう意味で、MMTが提示しているのは、主流派経済学と言われる現在の世界の経済の仕組みを秩序立てている考え方・既存のストーリーを、根底から変えてしまう、全く別のストーリーです。しかも、現在日本を含めて世界各国で悩んでいる国家財政問題・経済問題を好転できる可能性を秘めているものです。
経済財政素人の馬の骨はMMTの説明は専門家にお任せすることにしますが、馬の骨が馬の骨なりに理解できた貨幣の意味は、非常にシンプルです。それは、貨幣とは『貸借関係』である、というものです。これまで当方は、おそらく多くの人が思っているのと同様、貨幣とはものと交換できる価値があるもの(これを商品貨幣論と言うのだそうです)、と言う漠然としたイメージがありましたが、MMTではそのイメージは根本的に覆ります。その意味がわかると、まさに目からウロコです。
当方が理解できたことを書いてみると、
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ゼロからいきなり、プラス100円とマイナス100円の貸し・借りがぽっと世の中に現れる。それは、通貨発行できる主権国家の政府が、万年筆マネーで簡単に実現できる。
別に100という数字の大きさに意味があるわけではなく、それがプラス10億円とマイナス10億円でもかまわない、貸借なので(金利を除いて)同じ金額、プラス・マイナスの数字の大きさが同じであればよく、プラスマイナスなので、後で合算すると必ずゼロに戻る。
プラスマイナスを発生させるとその金額の貨幣(貸借関係)が市場に流通し、民間が経済活動をするが、貸借関係なので、一定時間の後、借りたお金は返す、必ずもとに戻ってプラスマイナスが合算されて、貸借関係が解消、ゼロに戻る。ただ、ゼロに戻るというのは、市場に流通する貨幣がなくなることを意味するので、民間経済活動がゼロになる、民間が死ぬ、と同義。政府はゼロにならない様、民間が死なない様、更には市場が健全に成長して行けるように、市場の貨幣量を見てインフレ率を調整させながら、プラスマイナスを発生させ続けて(国債を発行し続けて)、市場に貨幣を供給し続ける。
プラスマイナスは貸し・借りなので、貸す人と借りる人がいる。日本でいうと、貸すのは日銀、借りるのは日本政府。ただ実態としての国家運営は、日本政府=日銀なので、ここでは日本政府と日銀をひとくくりにして日本国ということにすると、MMTでは、貸す人も日本国、借りる人も日本国。日本国は日本国に借りたお金を日本国に返す。一人の同じ人が左手から市場に流したお金を右手で市場から回収するイメージ。返す時にお金が足りなければ、日本国は通貨発行ができるので、足りない分は自分で通貨発行して返す。
ただ、プラスマイナスを発生(国債を発行)させ続けていくと市場に出回る貨幣量は増加していく一方だが、実態は、日本国は市場に出回った貨幣は、税金の形で市場から回収する。市場に出た貨幣は経済活動(事業投資・株式投資・金利等)で自己増殖(あるいは減少)することがあるので、市場で十分に自己増殖した貨幣が税金として回収されれば、追加のプラスマイナス発生(国債発行)は抑えることができるので、一方的な財政赤字の拡大抑制効果はある。
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以上は、間違っているかもしれない馬の骨レベルの理解をだらだらと書いただけなので無視してもらってかまいませんが、少なくとも、MMT論者の言う、
『自国通貨発行ができる国の政府は、自国通貨建ての国債発行で破綻することは無い』
ということは、誰がどう考えてもでも理解ができる、紛れもない事実と思えます。
これが事実であるなら(馬の骨には事実にしか見えませんが)、現在日本の財務省の大方針である財政規律重視の方針は、必ずしも守る必要のないストーリーであり、日本経済を浮上させる、または国民生活を救済する、『積極的な財政投入』という全く別のストーリーを可能にします。
衝撃の後の違和感、なぜ世間では盛り上がらないのか
かようなMMTの意味するところが理解できた時、衝撃を受けました。これは常識が覆る。バブル崩壊以降過去30年デフレに悩み、追い打ちをかける様に昨年から発生した新型コロナウィルスによって瀕死のダメージを受けている日本経済、日本国民の生活を立て直すことが可能となる。正に画期的で日本の救世主になりえる理論に見える。
ただ、なぜでしょうか。MMTが米国から日本に伝播して盛り上がりだしたのは、2019年あたりなのですが、どうも、ネットを見ていても、世間の表舞台、政治家、官僚、国会、及びそれらを国民に知らせる立場のマスコミが、あまり盛り上がっていません。
MMT論者はいたるところで頑張って論陣を張って声を上げており、MMTの趣旨に賛同する馬の骨としても応援しているのですが、いかんせん、日本の世間一般では、あまり相手にされておらず、ほぼスルーをされている様なのです。
ただ、2021年6月に発表された骨太の方針にも、元々あったPB黒字化達成目標の2025年は堅持するとしつつ、年内に目標年度の再確認をする、とのコメントが入るなど、さらなる延期の伏線とも思える動きは出てきています。新型コロナ対策による海外での異次元の財政支出の拡大もあり、日本だけ取り残されて良いのか、という雰囲気がその背景にあるようです。動き方としては、財政支出を積極的にするべしとのMMT論と結果的には同じ方向の動きではありますが、そうする根拠としては、MMTのエの字も出て来ず、完全に無視されているとも言える状況です。
なぜこんな画期的に思える話を、日本の国民の命運を握る政治家・官僚は相手にしないのでしょうか?
財政規律重視というストーリーに固執する財務省
国の財政・経済を司る権力を持っている政治家・官僚たちは、当然日本のトップの頭脳集団で構成されているエリートのはずで、馬の骨の当方でも理解できることを、理解できないわけがありません。
間違いなく、わかっていてもやらない、あるいはできない、何かの理由がありそうです。
MMT論者の一部は、それを、財務省職員が国民のことは考えず、自らの個人的立場を優先しているからだとしています。財務省で昇進するには、財政規律を守る人が偉くなる仕組みができあがっており、職員は皆その仕組みに乗って、国民は置いてきぼりにして、自分のための出世争いをしている、との言い方をしています。
本当でしょうか?
信じたくないのですが、それ以外の理由が、現状ネット上からは見て取ることはできません。
MMT論者の一部は、MMTを相手にしない政治家、財務省はバ$だア$だと辛らつに攻撃しています。他でもない、日本のトップのエリート頭脳集団を自認しているであろう財務省職員にとっては、その様にバカにされるのは、自尊心が傷つくでしょうし、感情的にもなるでしょう、また自分は財務官僚でMMT論者は所詮市井の一般人との上から目線の上級国民感情もあるでしょうから、益々MMT、MMT論者に対してそっぽを向いてしまうのかもしれません。
ただ、もし財務省の職員の誰かが、少しでもMMTの可能性を理解しているのなら、少なくとも議論くらいはしても良いのではないでしょうか。当方の情報網は馬の骨レベルですので、既に政府内・省内で議論されているのを馬の骨では預かり知らないだけなのかもしれませんが、馬の骨がネットを見ている限り、表舞台には一向に登場してきません。
そうすると、やはり財務省の人達は、国民のことなど一向に考えず、自分の出世、自分の利益だけを考えて仕事をしていることになります。
本当でしょうか?
『国民全体の奉仕者』というストーリー
今回の財務省の話の延長で、次回『国民全体の奉仕者』というストーリーを取り上げますが、これは国家公務員法にある、国家公務員としての心構えです。
財務省職員に限らず、国家公務員はすべて、まずこのストーリーを念頭に仕事をしなければいけません。今回のMMTのみならず、財務省関連で言うと、記憶に新しい公文書改ざんという事件もありました。
それらの一連の行動を見ていると、財務省職員のストーリーには、『国民全体の奉仕者』というストーリーは、みじんも感じることができません。
財務省職員は、誰のため、何のためのストーリーを追いかけているのでしょうか。
馬の骨でもできること、投票する!
当方が長年ファンである田原総一郎さんの記事をさがしていたのがきっかけで初めて知ったMMT。馬の骨の当方でも、日本の現在の閉そく感を打破できる、突破口になるのではと思っているのに、なかなか盛り上がらないのが残念でなりません。
前出・藤井聡さんによると、彼が安倍政権時代に内閣参与をしていた際、安倍総理を何とか積極財政に向かわせようと様々な説得を試みたが、財務省がまさに鉄の結束で安倍総理他政権幹部を洗脳して、まったく寄せ付けられなかったそうです。内閣人事局ができて、政権幹部が財務省はじめ国家公務員の人事権を握っているはずなのに、この状態なんだそうです。
財務省、恐ろしい結束と忠誠心です。それも、いつか自分が財務省のトップに立ってやる、という同じ内向きのベクトルを職員全員で緊張感を持って追いかけている集団。決して国民の方は向いていない集団。その集団が現在、日本と日本国民の命運を握っています。
財務省のストーリーを変えるべくMMT論者を引き続き応援したいですが、外圧ではどうにも動きそうもありません。やはり財務省自身が内部から自らストーリーを変える、特に財務省固有の内向きのストーリーに毒される前の、入省した時に意識していたであろう『国民全体の奉仕者』としてのストーリーが少しでも残っている財務省の若手が、自律思考で新たなストーリーを構築していくことを期待する、そのくらいしか、馬の骨にできることはないかもしれません。
もうひとつ、馬の骨でもできそうなこと、それは、次の選挙で投票する! MMTを理解して積極財政に動いてくれそうな政治家を探して投票する、それだけです。
『国民全体の奉仕者』たる国家公務員は国民の直接選挙で選ぶことはできませんが、奉仕者をどのように使うか決める上司たる国会議員の選挙には投票権があります。たかが一票ですが、貴重な一票です。馬の骨としてできること、次の衆議院選挙では渾身の一票を投じたいと思います。
それでは。
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