=(2)ユヴァル・ノア・ハラリ氏が教えてくれたこと=
<目次> ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ・ユヴァル・ノア・ハラリ氏が教えてくれた『虚構』 ・トランプ元大統領を見ながら感じた虚構の意味 ・トランプ元大統領と麻原彰晃の共通性 ・虚構/ストーリーとマインドコントロール ・人の世は、すべて虚構 ・自律思考で虚構を信じる ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
こんにちは。柳原孝太郎です。
『馬の骨でも考える』のキーワードのひとつである、ハラリ氏の著作に登場する『虚構』。
当方がハラリ氏の虚構を知ったきっかけは、数年前にぶらっと本屋に立ち寄ったときでした。そこの新刊コーナーに山積みされている本のひとつが、ハラリ氏の『ホモ・デウス』でした。面白そうなので早速買って読みましたが、いやはやなんて面白いんだ、そこから『サピエンス全史』、後日発表された『21 Lessons』と立て続けに読みました。
ハラリ氏の歴史観・世界観は、明らかに転機を迎えている人類の行く末を見据える知見には事欠きませんが、ハラリ氏とその著作の概要・評価は専門家各位にお任せすることとして、馬の骨の当方は一点だけ、当方が強い衝撃を受けた『虚構』について、考えたことを書いてみます。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏が教えてくれた『虚構』
読者各位は、虚構、と聞くとどの様なイメージがあるでしょうか?
これまで当方のイメージする虚構は、陰謀をたくらむ悪党が嘘で固めて人を騙して陥れる仕組み、というようなマイナスイメージのものでした。ただ、ハラリ氏の意味するところをフェアにわかりやすくするためには『ストーリー』と言い換えて見ると良いです。
ハラリ氏は著作の中で、人類がなぜ現在の様に地球を支配することができたのか、それまで他の生物ができなかったことを人類ができるようになったのはなぜか、という問いに対して、大きな理由の一つとして、それは人類が『虚構』を構築する能力を得たからだ、と言います。人類は脳を発達させて言葉を獲得し、頭の中でイメージ・意識として『虚構』を創作・構築して、それを言葉の力で他の人に信じ込ませて、それを信じる人々で集団を形成し、その集団で同じ目的を持って大規模に協力し、行動することができるようになったからだ、としています。
そして人類が創り出してきた虚構の数々、帝国であるとか、貨幣であるとか、宗教であるとか、を例にあげて説明を加えていきます。
当方もそれなりに歴史とか社会学を学んだことはありますので、帝国、貨幣、宗教については、自分なりのイメージで理解はしていたつもりでしたが、ハラリ氏は、それらをひとくくりにして、すべて『虚構』だ、と言います。
『虚構』といわれても当方の固定観念があるので今一つもやもやしていたのですが、ハラリ氏が言い換えているように『ストーリー』を頭の中で構築するのだと考えた時、はっ、とハラリ氏の意味することに気が付きました。世の中の人の活動は人が頭を使って実行していますので、当たり前と言えば当たり前のことなのですが、当方はハラリ氏のような考え方をしたことなどありませんでした。ふとハラリ氏の意味する構図が理解できた時、まさにガツンと殴られたような強い衝撃を受けました。
ハラリ氏の意味することが理解できるようになると、世の中にあるものでいわゆる文系的なもの、社会科学的なものは、すべて虚構である、と言えることを理解する様になりました。その後は、世の中の色が違って見えるような、そんな感覚に襲われました。
世の中は、すべて虚構、あるいはストーリーだ。虚構は作り物だ、作り物なのだから、作り替えられる、作り替えて良いのだ。。
ハラリ氏の帝国、貨幣、宗教についての虚構の説明は著作を読んで頂きたいのですが、ひとつだけ貨幣を例に挙げると、物の価値としてはただの紙切れに過ぎない紙幣を価値があるものと信じることにする、信じた人々同士がその紙切れを使って他のものと交換できることにする。そうして貨幣経済が大規模に成り立つようになると、地球上での経済活動が飛躍的に拡大し、他の動物では無しえなかった地球規模での支配力を得ていくことになります。人間は虚構の力で価値の無いものに価値があると信じてものすごい力を発生させているのですが、チンパンジーにとっては、お金もティッシュペーパーもただの紙で変わりがありません。これが貨幣という虚構/ストーリーの実態です。
このようなストーリーの力は、我々の身の周りのいたるところに存在します。国という制度、市場経済というしくみ、家族という枠組、会社という組織、等々我々が無意識に生きている土台がほとんどすべて人間の脳の働きで創り出したストーリーで、我々はみなそのストーリーを信じてその上に乗って生きている、ということがわかります。
このように、虚構/ストーリーの仕組みを意識しながら、日々我々の日常に溢れているメディアからの情報を見て見ると、身の回りに起きるできごと、あるありとあらゆるものが虚構に満ちていることに気が付きます。
トランプ元大統領を見ながら感じた虚構の意味
米国のトランプ元大統領。2016年の大統領選挙でのまさか!?の当選後の在任4年間の言動、また2020年11月の米国大統領選挙を経て2021年1月6日の国会議事堂襲撃事件に至る経緯、そして大統領退任後の現在も米国内で根強いトランプ支持者が存続して活動していることについては、当方もメディア報道を注目しています。
それらトランプ元大統領のニュースを見ていたとき、ふと、思ったことがありました。
それは、そう、ハラリ氏の言っている、虚構、のことでした。そう、これも典型的な虚構の一つだ。
トランプ氏は米国の深まる一方の分断状況で置き去りにされている経済的弱者の不満を理解して、そのはけ口を用意して彼らを利用するべく『虚構/ストーリー』を構築し、フェイクニュースを駆使して彼らを信じ込ませて支持を取り付けている。支持者も、自分の不満をぶつけられるトランプ氏が構築した虚構に熱狂し、支持の輪が拡大していく。
トランプ氏のストーリー/虚構を信じる人々が集団を形成して大規模に行動する、その結果が2021年1月6日の国会議事堂襲撃事件。悲しいことですが尊い人命も奪われる結果になりました。
トランプ元大統領と麻原彰晃の共通性
その様なトランプ絡みの報道を、へぇ~、ハラリ氏の虚構そのものじゃないか、と思いながら見ていたある時、はっ、とデジャブの感覚に襲われました。待てよ、この景色、むかしどこかで見た覚えがある。う~ん、なんだっけ。そうだ、思いだした。オウム真理教だ、麻原彰晃だ。トランプの一連の動きは麻原とオウム真理教の言動に似ている。。。
そう思って、ネット検索をしてみると案の定、既に多くのジャーナリスト、評論家の人々が、両名の共通性そして危険性を指摘している記事が出てきました。
トランプと麻原の共通性の一つとして、両者とも選挙に出て落選したが、落選した理由を陰謀だとか巨悪にはめられたとか称してして嘘の情報、フェイクニュースを駆使して自分の正当性を主張している、ということも指摘されています。その点はその通りと思いますが、フェイク情報を駆使して虚構を構築して人に信じ込ませて他の人にも伝播させ集団を形成して大規模に行動していく、という手法そのものが、トランプ元大統領と麻原彰晃に共通しています。まさにハラリ氏の指摘する虚構という人間が持つ大きな能力を利用していると言えます。
虚構/ストーリーとマインドコントロール
それでは、ハラリ氏が言う虚構は、オウム真理教のマインドコントロールの様に、人をだまして悪事を働くための、人類に損害を与えるだけのマイナスの存在なのでしょうか?
既に出てきている貨幣を例に考えてみれば明らかですが、必ずしも人々を不幸に陥れるものではなく、人間の役に立っているものもあります。
オウム真理教と貨幣の違いは何かというと、それは騙されているか否かということがひとつ上げられるのではないかと思います。自律思考で虚構を虚構であると理解しているか、マインドコントロールされて無意識に信じているか、ということです。
貨幣は、ただの紙きれに価値があるというとうことを自覚して信じているストーリーですが、自分で自分にただの紙きれだが価値があるのだと一種のマインドコントロールをかけて信じています。無意識と言えば無意識ですが、紙切れだが価値があるというマインドコントロールをかけている、ということは自分自身で理解している、自律思考・自律行動といえます。一方のオウム真理教の信者(被害者)は、かなり多くの場合は麻原に洗脳されて自律思考ができておらず、自分は意図していないのに無意識のうちに騙されて麻原を信じて悪事に加担する様になっていると見えます。
虚構/ストーリーは、人を幸せにするストーリーもあれば、奈落の底に叩き落す悪のストーリーもあります。ハラリ氏の虚構/ストーリーは使い方で、プラスにもマイナスにもなるということです。そこで一番大きな違いは、自律思考で虚構を虚構であると理解した上で自分の意志で信じているのか、あるいは、自分では無自覚・無意識に他人にマインドコントロールされてしまっているか、という点ではないかと思います。
人の世は、すべて虚構
ストーリーは、身の回りを眺めて見ると、我々が生きている社会の中にいくらでも存在していることがわかります。貨幣はあきらかに人類の役にたっているストーリーですが、他にはどうでしょう?
例えばサッカー。サッカーも虚構ですね。
11人対11人で決められた時間内にサッカーグランドで手を使わずに相手のゴールネットに多く玉を運び入れた方が勝ち、というのがサッカー競技のストーリー(ルール)です。
サッカー選手は、手を使ってはいけない、ということをマインドコントロールされていると言えます。ただサッカー選手は自分が気が付かないうちに手を使えなくなっているのではなく、サッカーのルール(虚構)を信じて、自分の意志で手を使わない様にしているわけです。
チンパンジーはサッカーができません。頭の中で虚構を構築する能力がないので、ボールがあったら手で拾って遊んでしまいます。人類とチンパンジーの違いです。
いかがですか。読者各位も、自分の身の回りのものが、どんな虚構/ストーリーになっているのか、考えてみてください。自分が生きている世の中が、ストーリー/虚構に満ちていることがわかるはずです。
自律思考で虚構を信じる
ユーチューブでハラリ氏の講演・対談などが多数アップされていますので、読者各位も時間があったら是非視聴してみて欲しいですが、ある学生との対談を見ていて、興味を惹かれました。
学生の一人がハラリ氏に質問をします。その学生はイスラム教徒で両親も敬虔なイスラム教徒です。学生はハラリ氏の著作を読んで、フィクションについて関心を持ち、宗教もフィクションのひとつだというハラリ氏の指摘を親と議論しようとしました。ところが、親はそれこそ怒り心頭、お前はイスラム教が嘘だと言うのか、アラーの神は存在しないというのか、とこっぴどく叱られてそれ以上の議論ができなかったがどうしたものか、というものです。
それに対しハラリ氏は、自分は科学的な考え方をするのが好きである(つまり、ストレートには言いませんが、自分は宗教は信じていないということと理解しました)と言いながら、世界にはイスラム教以外の宗教を信じている人もいる。学生のご両親はイスラム教だが、イスラム教以外の他の宗教が存在していることは知っていますね?イスラム教徒の立場で、他の宗教の神の存在は本当だと思っていますか?逆に考えてみれば、他の宗教信者はイスラム教の神が存在するかはどう考えるだろう?おのずと答えはあきらかですね。
というハラリ氏と学生の対話を見ていて、改めて、ハラリ氏の虚構について当方が感じていた、自律思考のことを考えました。
当方の実家は代々仏教だったので、親族の葬儀はこれまで仏教式にやっていますが、当方自身は、特に仏教徒と思ったことはありません。要するに、当方は神様仏様の存在は信じていません。ただ、親の葬式・その後の法要の時には、仏壇に手を合わせながら、親の極楽浄土を心から祈っています。BEVして見える仏壇に手を合わせている自分は、仏様の存在は信じていないのに、何に対して手を合わせて祈っているのだろう。不思議ですが、それが自分が人生で積み上げてきた当方のストーリーで、当方自身が自律思考でやりたくてやっています。
法要の時以外、普通の生活をしているときには、当方は宗教的な活動はしていないので、正直なところ、日常のルーティンとして宗教を信じている人の気持ち、考え方が、当方は想像がつきません。宗教の熱心な信者は、本当に神様の存在を信じているのか。
あるいは、ハラリ氏のいうところのストーリーの一つとして宗教を理解した上で、神様仏様の存在は信じていないが、社会的行動のひとつとして、宗教信者であることを選択しているということか。
宗教も虚構/ストーリーのひとつだとハラリ氏は指摘していますが、ストーリーなので、信じても良いし、信じなくてもよい。もしある人が宗教というストーリーを信じることで、その人が幸せな人生を過ごせるのであれば、その人が思うように宗教を信じ、行動して行けば良いと思います。当方も、仏様の存在は信じていませんが、親は仏教のお寺の納骨堂に供養されており、法要は欠かしません。それが当方が人生で積み上げてきたストーリーで、そうすることで、現在はこの世に存在しない親とのつながりを、仏教というストーリーを通じて感じ、自分自身の心の平安が得られ、幸せを感じるからです。
一方、もしある宗教の信者が、自分が信じる宗教以外の宗教を否定し、それを信じる人を攻撃し、結果として人の命が奪われているとしたら、それはある人(信者)は幸せになれるが、他の人(信者以外)は不幸になるストーリーです。人が不幸になるストーリーは、不幸にならない様な別のストーリーに変えた方がよいのではないか、とも思います。
ストーリーは所詮、人が頭の中で創作する作り物です。信じてもよいし、信じなくても良い。人がマインドコントロールを通じてあるストーリーを無自覚・無意識に信じる結果、人を不幸にするのであれば、それは虚構が招く最悪のストーリーです。
その様な最悪のストーリーを信じるようなマインドコントロールをされないように、自律思考をすることが当方はとても大事であると思っています。
自分が自律思考をしているか、マインドコントロールをされてしまっていないか確かめるためにも、自分と自分が信じるストーリーを俯瞰(BEV)してみる、ストーリーがストーリーであることを理解できているかを確認する自律姿勢は、忘れないで起きたいと思っています。
それでは。
6 thoughts on “人の世は、すべて虚構”
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