=公立病院を増やさないと感染症対策が無理である理由=
<(22)目次> ・ 医者の『先生』の中に『医療屋』が紛れている ・ 『応召義務』が忘れ去られ患者が見捨てられる日本の医療現場 ・ 『非営利』『公共』の看板の下でとことん金儲けに徹するビジネス主義の医療屋 ・ 医療屋がやらない感染症対応は国立・公的病院を増やすしかない ・ 公立病院を増やすための財政出動を厭わない政治家に一票を投じたい!
こんにちは。柳原孝太郎です。
新型コロナ感染症第5波の感染爆発を迎え、治療を受けたくても受けられず自宅で死亡する人が増加している日本。政府の無能・無策ぶりによって感染対策の為の医療が行き届かずについに見捨てられた患者が自宅で死亡するという最悪の事態を次々に引き起こしています。先日は妊娠中の新型コロナ感染者が救急搬送の受け入れを拒否され自宅で出産、出産後の赤ちゃんが死亡するという何とも痛ましい事故が起きました。このような事態がまさか自分が住んでいて先進国であると思っていた日本で発生するとは夢にも思いませんでした。
このような事態を発生させたのは、新型コロナが発生してから一年半、感染症対策としては国民の自粛の一本足打法に終始し、感染症対応病床を増やすなど医療受け入れ態勢の整備をほとんど何もして来なかった政府であり、その責任は非常に重大と思いますが、一方で受け入れる側の医療現場でできることは無かったのかとも考えさせられます。
医者の『先生』の中に『医療屋』が紛れている日本
MMT論者で政府の財政出動をメディアで強く主張する藤井聡氏。当方がMMTを知るきっかけにもなり、お金、政府国債、MMTの本当の意味を教えてくれた人で、当方も発言を注目していますが、藤井氏が木村盛世氏と共著で『ゼロコロナという病』を発刊しました。
また合わせてその本の宣伝も兼ねて、藤井氏のYouTubeチャンネル『東京ホンマモン教室』で『医療ビジネス主義の大罪』という動画がアップされています。
YouTube 【東京ホンマもん教室】8月14日 放送 見逃し動画 医療ビジネス主義の大罪〜“ゼロコロナ”ホンマもんの話〜
新型コロナ感染症の現場で奮闘される医療従事者の方々には本当に頭が下がりますが、一方で医療現場の営利主義の弊害に一石を投じる藤井氏の『医療ビジネス主義の大罪』という問題点の指摘は当方も全く同感であり、以前の当方のブログでも指摘した通り、医者と言っても『先生』と呼ぶに値する高い倫理観を持った医者ばかりではなく、医療を金儲けの手段として考える『医療屋』と呼びたくなるような医者もいる様に思えてなりません。
(「金儲けの手段としての『医療屋』」については、↓↓↓ )
『応召義務』が忘れ去られ患者が見捨てられる日本の医療現場
上記の当方ブログ中の記事に登場した兵庫県尼崎市長尾クリニックの長尾院長。記事の中では他の開業医も長尾院長同様の発熱外来対応をすることで新型コロナ早期治療により患者の重症化を少しでも防げるとして日本医師会に訴えていたとしていますが、残念ながら状況は改善されず現在は医療崩壊が発生している状況と言えます。
最近見つけた長尾院長関連の以下の記事の中に、以下の引用がありました。
PRESIDENT Online 「在宅放置でコロナ死する人をもう増やしたくない」長尾医師が"5類引き下げ"を訴える本当の理由 重症化する前に町医者に治療させよ 笹井 恵里子 https://president.jp/articles/-/49053
(引用)
当初、長尾医師は悩んだ。本来、保健所の管轄である患者を診てもいいのだろうか。しかし一方で、医師法19条には「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければこれを拒んではならない」という応召義務がある。目の前の患者が熱が出て苦しいと叫んでいるなら、これを助けたい。コロナもほかの病気と同様に、自分が治療を請け負う。そう決意を固めたのだった。
(引用終わり)
医師法19条には、応召義務があるとのこと。つまり、患者に治療を求められたら「正当な事由が無い限り」治療せねばならない。
ただ、今回の新型コロナの一連の対応を見ることで、医者と言っても長尾院長の様に医者としての誇りと自覚を強く抱いた『先生』と呼ぶにふさわしい人もいる一方、金もうけの為の手段として医療を行う医療屋の様な人達もいることが見えてきました。医療屋は恐らく、新型コロナが二類感染症であることを理由に様々なことを挙げてそれらを「正当な事由」として治療に対応しないのではないでしょうか。言い方は恐らく、「治療に対応しない」のではなく「治療したくでもできない」という説明をするのでしょう。
もちろん感染症対策は財政出動含めてまず国が手を打たねばならないのは議論の余地は無く、感染症対応病床・医師看護師を含む医療資源を増やして十分確保する医療システムの仕組みを作るという本来政府が取り組むべき課題に対して、新型コロナが発生してから一年半何もしなかった政府の責任は重大であるのは言うまでもありません。
一方で、現場の医者たちは、長尾院長の様な『先生』と呼ぶにふさわしい医者としての誇りと自覚を持って医療現場に立っている人はどれだけいるでしょうか。
開業医のトップとも言える日本医師会の会長が、以下記事にあるようにとても『先生』と呼ばれるにふさわしい倫理観を持っているとは思えない言動をしている中では、推して知るべしという暗澹たる思いになります。
PRESIDENT Online 「国民の命より開業医が大事」まともな医者ほど距離を置く日本医師会はもう要らない これでは誰も医者を信じられない 元木 昌彦https://president.jp/articles/-/47490
トップがこれでは、会員の多くの開業医は、自分も会長の様な医療屋に徹しよう、と思っても何の不思議もありません。
入院したくてもできずに自宅で死亡するとか、新型コロナ患者の妊婦が救急車を呼んでも受け入れる病院が無く自宅で出産して赤ちゃんが死亡するという、とても先進国とは思えない現状を目の当たりにして、未だ新型コロナに対応していない医者は、医者としての誇りと自覚があるのであれば、何か思うところはないのでしょうか。
あるいは多くの医者は、そんなとても先進国とは思えない惨状を目の当たりにして、そろばん勘定を優先する誇りも自覚も無い『医療屋』に留まるのでしょうか。
『非営利』『公共』の看板の下で金儲けに徹するビジネス主義の医療屋
先述の藤井氏のYouTubeでも触れられていますが、海外(特に欧州)では、医療は国営の公的サービスが多いとのこと。なぜ日本は公的病院ではなく民間病院が8割を占めているのかその経緯を当方は知りませんが、民間病院の運営にあたっては、医療という公益性を担保する為に、非営利性・公共性を前提に運営することが前提になっている様です。
『非営利』的な民間病院というものがピンと来ないのでネットで検索していますが適当なものが見つからず、かなり古い資料ですが厚労省関係の以下の報告書があったのでざっと読んでみました。
-医療施設経営安定化推進事業- 病院経営をはじめとした非営利組織の経営に関する調査研究報告書 平成 16 年度 厚生労働省医政局委託 平成 17 年 3 月 委託先 株式会社 明治安田生活福祉研究所 https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/igyou/igyoukeiei/anteika1601.pdf
この報告書は、病院を営利化・自由経営で効率化したらどうかという意見に対して非営利を維持すべきである意味を主張しているものですが、報告書の中にも記載があり通り、日本の医療法人は非営利性・公共性の原則があるものの、実態としては営利的になっており非営利を徹底するべく改善が必要、との論調です。
つまり、少なくとも2004年の段階で病院・医療が利益主義になっているとの指摘はあったものの、その後なんら改善がなされないまま現在に至り、新型コロナ感染症の拡大に直面してしまった中で、非営利性・公共性の看板は名ばかりで実態は超営利的・利益主義の医療屋の存在が、医療崩壊を防ぐことができない最大の障壁になっているように見えます。
上述報告書にあるコメントを抜粋して以下に引用します。
(引用)
医療は情報の非対称性が著しく大きく、一般的な財と比べ一方的といっても過言ではないほどに、医師に判断を委ねざるを得ない。このような財においては、患者便益を第一に考える医師の職業倫理の発揮が極めて重要となる。医師の職業倫理が発揮しやすいシステムは、利益第一の営利事業よりは、ミッション第一の非営利事業と考える訳である
(引用終わり)
(引用)
一部の医師や病院の営利的行動や単なる営利目的の「企業化」にも厳しい監視の眼を向け る必要があり、そのための具体的方法を理論的・実践的に明らかにすることは、研究者にとっても、医療団体にとっても、今後の重要な研究課題であると指摘している
(引用終わり)
昔から医者と言っても『先生』だけではなく多くの『医療屋』が紛れている日本の医療現場は厚労省も認識していたにも関らず現在に至るまで放置されていたことを見ると、現在我々が見ている医療崩壊は起こるべくして起こったと思えてなりません。
医療屋がやらない感染症対応は国立・公的病院を増やすしかない
とは言っても、医者と言っても一人一人は人間であり、人権があります。憲法で認められた自由の権利に沿って、所定の免許・認可を取得して法律に沿っている限り、医者を開業するのは自由です。
ただ、その自由が人を不幸にすることがあるのは、当方の以前のブログでも指摘した通りです。
(「自由が国民を見捨てる」については ↓↓↓ )
この中で当方は、自由を認めているが有事法制を持たない国で有事が発生すると、無残に見捨てられる人が出る、ということを指摘しましたが、現在の医療崩壊の状態はまさにこの状態が表出してしまっている様に見えます。
国営企業、公的機関の非効率化の問題で民営化が進んで来た過去があるのは当方も理解しており、医療業界で何が正解なのかは当方は回答を持ち合わせていません。
ただひとつだけ確かに言えるのは、こと感染症に限っては、国立・公的な医療体制を構えないと今回の新型コロナで医療崩壊を迎えるような事態が無くなることは決して無い様に思えます。
感染症はいつ発生するかわかりませんので、発生しない間、その体制を維持することは利益主義の民間病院で対応するのは無理です。また感染爆発した場合の患者の隔離などは集中的に大規模に対応する必要があり、一定の規模を維持する為にも、国・公的機関に運営させるべきものに見えます。
過去SARS/MERSが発生した時には幸いにも日本は直撃は避けられましたが、2015年にMERSの直撃を受けた韓国はそれを契機に法整備・感染症専門病院の設立等の対策が実施されました。そのことが、自粛一本足打法の無能・無策の日本との対応の違いを生んでいるとも言えます。日本は残念ながら抜本的な感染症対策は今回の新型コロナをきっかけに進んでいく、進めなければならない状況ですが、『医療屋』に感染症対策支援金を配って対応を要請する(つまり、医療屋は金もうけにならないことを「正当な事由」として断れる)付け焼刃の対応ではなく、国立の感染症専門病院を作る、有事発生の場合に感染症対策を優先する公的病院を増やすなど、公的に医療対応ができる法整備・体制整備を進めなければならないと考えます。
公立病院を増やすための財政出動を厭わない政治家に一票を投じたい!
未だに感染拡大のピークをいつ迎えるのかわからない新型コロナウィルス、治療が必要な人が見捨てられる姿はこれ以上増やしてはなりません、待った無しです。一年半何もしなかった政府に直ぐに対応しろと言い続けるのは徒労感しか覚えません。現在の有事に政党・党派は関係ありません、次の衆議院選挙、少なくとも今回の事態を有事と捉えて、財政出動を躊躇しない政治家に、現在の難局に当たってもらわねばなりません。
当方ができることは、次の選挙でたかが一票を投じることしかありませんが、されど貴重な一票です。国民のことを考えて行動する使命を自覚し誇りを持ってくれるそんな政治家を探して渾身の一票を投じたいと思います。
それでは。
1 thought on “『先生』の中に『医療屋』が潜む日本の医療現場”
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