=「コロナ対応が戦時中に酷似」との指摘に頷くしかない恐ろしい現実=
<(21)目次> ・ 過去のスペイン風邪の教訓を見事に無視 ・ 一年半何もしていない理由 ・ 「コロナ対応が戦時中に酷似」との指摘に頷くしかない恐ろしい現実 ・ 我々は「空想の国」ではなく「現実の日本」を生きている
こんにちは。柳原孝太郎です。
新型コロナウィルス感染症が第5波を迎え、正に感染爆発と言える感染者の拡大が続いています。陽性者数の増加だけを見るのは正しくない、死者数は激減しているという論調もありますが、いくらワクチンを打っても変異を続ける感染症のこと、いつ何時ワクチンを打った人にも形を変えて襲って来るかもしれません。
何といっても、入院したくても入院できずに自宅で死亡する人がどんどん増えている状況は、正に医療崩壊としか当方は表現の方法を持ちません。
「入院したくてもできない」「治療を受けたくても受けられない」という話は、社会の隅々にまで医療サービスが行き届いていない新興国で発生する話で、まさか先進国である(と当方が誤解していた?)日本で起こるはずは無いと思っていました。
そんな遠い国の話と思っていた事態を、今まさに自分が住んでいる日本で目の当たりにしています。中でも一番信じがたいのは、新型コロナが発生した一年半前から近い将来に感染爆発という最悪の事態が起こる可能性は指摘されていたにも関わらず、一年半たった今に至るまで何も根本的な対策を打たないまま予想された最悪の事態に直面し、ただただうろたえる政府の無残な姿です。
なぜ一年半もあったのに、日本政府は何ら対策を打たなかったのでしょうか?
過去のスペイン風邪の教訓を見事に無視
一年半前に新型コロナ感染症が発生した後、様々な分析・対応策の検討が開始されましたが、その中には当然過去の経験を生かそうとする動きもあり、100年前のスペイン風邪を分析しての将来の予測の役に立てようとするものも出されていました。前回のスペイン風邪の特徴は、第一波の後に来る後続の波でウィルスが変異して致死率が急上昇する大波が来ることとされています。本番は後で来る、ということです。
一年半前に感染が始まった段階で今回の新型コロナも同様に一回目の波よりも大きな波が数か月~年単位あとで来る可能性は世界的に指摘されていました。当時はワクチンが完成するには早くても1-2年はかかるだろうとも言われていたことから(その後、米国の「オペレーション・ワープ・スピード」でかなりの前倒しが実現しましたが)、感染症との闘いは数年は覚悟しなければならないであろうというのが大方の見方でした。
世界で最近発生したSARS/MERSなどの感染症は日本は幸いにも直撃は避けられたため、今回の新型コロナウィルスが戦後では日本が初めて直撃を受けるパンデミックとなり、日本でも当初から様々な対応策の議論がなされました。日本の特徴として言われていたのは、日本は医療機関の8割が民間であるという特殊性が、政府主導の一貫した対応が求められる感染症対策には足枷になるのではという指摘で、早急に感染症対応の為の医療体制の構築が課題と叫ばれ始めました。
もし感染爆発が起こった際、病院・病床が中小の民間医療機関にちらばっていては大規模に発生する感染者を隔離して対応するのは限界があり医療崩壊を引き起こします。そうならない為に、中国の武漢で感染爆発後に即実施されたプレハブでの集団隔離施設の建設など、日本でも参考にできるはずの海外での対応例も報告され、日本でもいつ襲われるかわからない感染爆発に備えて、医療体制の整備がされていくものと思われていました。
その後の経緯は省きますが今回の第5波の感染拡大、それも今回のパンデミックが始まって以降で最大の大波を迎え、過去に類を見ない感染者数の増加を見せており、正に感染爆発の様相を呈しています。
一年半前に既に予想されていた、第1波の後にウィルスが変異してやって来る大きな波がまさに来ている状況で、今更ながら、ああ、やっぱりそうだったのか、という思いです。
ただ、この感染爆発を迎えている今現在の日本の医療体制が、感染症発生当時から全く改善されないまま放置されている事態は、誰が予想したでしょうか? 過去の経験から学ぶこと無く、何もしなかった政府の無策ぶりに、唯々あきれるばかりです。
一年半何もしていない理由
メディアで発言する政府よりのコメンテーターからは、何もしていないとはさすがにひどいという意見もありますが、ならば聞きたい、今現在、入院したい人が入院できずに死亡する、という事態が起きているのはどういうことなのか?
一年半前の感染症発生当時、一番恐れていたことは、最初に中国・武漢、その後米国・ブラジル・インド等で発生していた感染爆発による医療崩壊で救える命が救えなくなる事態に他なりません。今は新型コロナ感染者の長引く後遺症の問題もクローズアップされて新型感染症の別の恐ろしさも伝えられていますが、何よりもまず命をつなぐことが最優先されるのは言うまでもありません。感染爆発で激増する感染者に対応する医療資源が足りず治療に手が回らずに死亡する人が発生するのは最悪ですから、この最悪の事態だけは何としても避けねばなりません。一年半前に様々な感染症対策の議論が開始された時にはその様な事態を発生させない為の必要な準備がされていくものだと誰もが思っていたはずです。
ところが、紆余曲折を経て今回の第5波を迎えて日本が直面しているのは、入院したくても入院できずに自宅で死亡する人が発生する、という正に最悪の事態です。政府は一年半結局何もして来なかった、と言う以外に現在の状況を表現する方法がありません。
なぜ、政府は一年半何もして来なかったのでしょうか?
何もしないということは、対応する必要が無いと思っていたということです。
いやいや、対応しようと思っていたのだがなんだかんだできなかったのだ、という弁解を誰かがするとしても、一年半はさすがに長すぎます。100年に一度のパンデミックに直面している有事です。国民の命にかかわる問題なのですから、国民の為にと心から思って行動を始めていれば、一年半という時間は、最悪の事態を避けるような有事法制・医療体制を整備し、その為に避けられないであろう財政出動の議論をすることも可能にしたはずです。
日本の現在の社会問題を解決できない理由の一つとして、有事法制が無いからだ、という指摘があります。有事法制があれば、今回の様なパンデミックに対して有事を宣言し、強制的な外出制限・飲食店の営業制限をすることで人流の抑制をすることは可能です。もちろんこれは憲法で保障された人権を制限し、私権を抑制することですから、それに伴い発生する経済損失は、政府が所得補償・営業補償等で補償する前提になります。
ただ、日本には有事法制がありません。パンデミックに際して有事法制が無いことが障害になるのは誰でもわかることですから、国民の命に係わる問題を解決せねばならないとの認識があれば、直ちに法整備に着手できたはずです。
それにも関わらず、政府は有事対応を可能にする法整備を検討すること、感染症対策を打てる医療体制整備をすること、それらをバックアップする財政出動を議論すること、それらの何一つとして、一切してきていません。
それらを何もしないということは、どういうことでしょうか?
そもそも政府内ではそれをする必要性に迫られなかったということです。
対応する必要を感じないということは、対応するような事態は発生しない、という前提に立っていることに他なりません。
そういう事態、有事は発生しない、という前提に立つ根拠は何なのでしょうか?
そんな根拠は、ありません。何ら論理的、科学的な説明は存在しません。
論理的・科学的な説明ができないものは、空想に過ぎません。
そう、現在の日本の政府は、「空想の国」を前提にして、政治をしているにすぎません。
「コロナ対応が戦時中に酷似」との指摘に頷くしかない恐ろしい現実
新型コロナ感染症拡大に対応する政府の無策ぶりを、太平洋戦争中の日本に酷似している、という論調があります。今回の第5波の感染爆発に右往左往して、法整備も不十分なままで不十分な対策しか打てず効果も不十分でしかないことが明らかな緊急事態宣言とまん延防止重点措置をずるずると追加で全国的に拡大していく様を見ながら、太平洋戦争中の政府に酷似しているとの指摘には頷くしかなく、その意味をまざまざと思い知っています。
正直、背筋が寒くなります。ここまで、わが国の政府は無策・無能なのか。似たような過ちはまた繰り返されねばならないのか。
ヤフーニュース 新型コロナとの闘い~日本政府はガダルカナルの失敗を繰り返すのか~ 古谷経衡作家/文筆家/評論家 https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20200407-00171868
毎日新聞 戦時中と酷似、コロナで迷走する政府 井上寿一・学習院大前学長 イチオシ 鈴木英生 2021/6/3 11:00(最終更新 6/3 11:00)https://mainichi.jp/articles/20210602/k00/00m/040/230000c
毎日新聞 五輪の夏・考/6 「失敗の本質」戦争中と酷似=葛西大博 注目の連載 葛西大博 2021/8/3 https://mainichi.jp/articles/20210803/dde/012/050/016000c
太平洋戦争当時も今回の安倍・菅政権も、自分に都合の悪いことは起こらないことを前提にしています。アメリカの国力と日本の国力を比べたらまともに戦争をしたら勝てるわけが無いという情報分析があったにも関わらずそれを無視し、根拠のない根性論で突破する前提の『机上の空論』で国民を戦争に巻き込んでいく戦時中の日本政府と、新型コロナは変異を繰り返すので将来感染爆発の可能性があるという専門家の分析は無視し、日本では国民に自粛をさせることで感染は抑えられるという根拠のない『机上の空論』で有事法制整備も医療体制整備も財政出動の検討も何もしない現政権は、背筋が寒くなるような共通性を感じざるを得ません。
とても、現実世界を相手に政治をしているとは思えません。
同じ過ちを繰り返すな、とよく言いますが、残念ながら政治の世界では、同じ過ちが何度も繰り返されているように見えます。なぜこのようなことになってしまうのでしょうか?
共通して見て取れるのは、政権に留まり自分の権力を維持するという自己保身・自己利益の為に、国民をリスクにさらしてでも身勝手で利己的・楽観的なストーリーを追求する醜い姿です。
そこには、政治家・国家公務員として国民を最優先に考えて行動する『国民全体の奉仕者』としての誇りと自覚はみじんも感じられません。
(「国民全体の奉仕者としての誇りと自覚」は ↓ )
日本で有事法制の議論が進まないのは、過去の日本が辿って来た歴史・経緯から、『有事法制』という単語自体が直ぐに戦争に直結するものであるとの拒否反応も背景にあるように見受けられます。
ただ、戦争と感染症は別ものです。感染症対策の為の有事法制を、「有事法制」という単語を使って戦争と結びつけて反論する人がいるとすれば、それはその人が自分の選挙のことを考えているからであって、現実を捻じ曲げているにすぎません。
逆に、感染症対策の有事法制を進めることで、なし崩し的に戦争対応を含む有事法制の議論に持ち込もうとする人がいるとすれば、それも同様に、自分の選挙のこと、自分の利益を優先して考える政治家に過ぎません。上記二名がいるとすれば両極の二人になりますが、どちらも自分が選挙で当選すること、自分の利益の為に、国民全体の奉仕者としての使命を放棄していると言う意味では同じです。どちらも現実世界ではなく、自らの空想の世界を前提に政治をしていると言えます。
有事法制を議論するとき、憲法との関係から完全に切り離して特措法だけの議論で進めるのは困難に見えます。憲法は政治家・政党の基本理念の根幹に関わるので、憲法の議論が始まると結局政治家は自分が国民全体の奉仕者であることを忘れて、次の選挙を視野に入れて自分の支援者の目線のみを強く意識したマウンティング合戦になりがちです。国民全体の利益を置き去りにして自らの立場を主張し合うだけの空論に終始してしまう様にも見えます。
しかし、今はパンデミックと言う国難、国民の命に関わる話ですから、国民全体の奉仕者として超党派に徹し、現実世界を踏まえた現実対応の政治を貫いて欲しいと思います。
もし、上記に書いたような理由で一年半何も進まなかったとすれば、そういう政治家は本来の政治家の使命である国民全体の奉仕者の立場を放棄しており、一刻も早く政治の舞台から退場願いたいものです。
産経WEST 有事法制で病床確保せよ 大阪府知事・吉村洋文氏 2021/6/24 20:25 尾崎 豪一 https://www.sankei.com/article/20210624-RNVAS3QHFRMJBL2XTJK4LRYUSY/
ヤフーニュース 緊急事態を統合した法整備が必要である 田上嘉一弁護士/陸上自衛隊三等陸佐(予備) https://news.yahoo.co.jp/byline/tagamiyoshikazu/20201224-00214281
我々は「空想の国」ではなく「現実の日本」を生きている
政治家が現実を無視して自分の空想のストーリーに固執するがために国民が不幸に陥れられるのは、太平洋戦争中に生きた過去の日本人も、今回の新型コロナ感染症に直面する現在の我々日本人も、同じ様な状況に見えます。
新型コロナウィルス感染症が発生する前、当時の安倍首相が見ていたシナリオは、2020年夏のオリンピックを成功させて2021年秋の自民党総裁選及び衆議院選挙に勝利するという、自民党と自分の権力を維持する為の国民を横に置いた自分の為の勝手なストーリーであったと思われます。
それが新型コロナ感染症の発生により元々のストーリーは実現困難なものになってしまっているにも関わらず、安倍首相はあくまでオリジナルの結末にこだわったものと見えます。その後自らは身を引いて菅首相にバトンが渡されましたが、引き継いだ菅首相もそれが既に実現困難なものであるにも関わらず、あたかも現実であるかの如く他の可能性を無視してそのストーリーを追い続けた結果が、今現在、我々が目の当たりにしている、新型コロナの第5波で感染爆発に直面し治療を受けたくても受けられない人が発生するという惨状です。
有事は現実として起こるものです。今回は感染爆発が実際に起こりましたが、もしかすると感染爆発が発生しないストーリーもあったのかも知れません。ただ政治は、「もし、発生したら」という場合に備えて準備することが当然求められます。現実的な可能性を踏まえて、事前の準備をすることが、国民全体の奉仕者としてすべきことです。
ただ、安倍・菅政権は、有事は起こらない前提で、自分勝手な空想が続くという非現実的な対応に終始してきました。政治は、現実的に発生する可能性をすべて考慮した上で、国民全体の為にすべきことをせねばなりません。しかし安倍・菅政権はそのすべきことをせず、現実の日本と日本人を見ず、ただただ、自らの権力を維持することだけを見ているとしか思えません。
有事は起きる可能性があります。その可能性を無視してはなりません。我々が生きている日本は、有事が起きる可能性を含む、現実の世界です。
我々日本人は、自分勝手な「空想の国」を自分の目的の為に追いかける政治家ではなく、現実の日本で起きる可能性のある事をフェアに受け入れてその対応準備を抜かりなく実施し、国民全体の奉仕者として行動してくれる政治家に日本を任せたいと思います。
そう思っている当方なのですが、どこの馬の骨かわからない一庶民にすぎません。そんな当方にできることはあるでしょうか? あります、そうです、
投票する!
次の衆議院選挙、当方ができることはたかが一票を投じるだけですが、されど貴重な一票です。現実の日本をフェアに捉えて国民全体の為に行動してくれる政治家を見つけて、次の選挙で渾身の一票を投じたいと思います。
それでは。